ウォンディポダンを後にし、西のトンサ方面へ。
途中、あちこちで見かけるこの赤い花。名称は不明だが、主に隣との境界線などに植えるのだとか。
道路脇には、紫蘇の葉をずっと大きくしたような形状の葉を集めている農家の人などもいるが、茹でて食用ともしつつ、主に茹でて牛の餌に混ぜると牛は大喜びなのだそう。
道路を行くと、良くみかけるのがチョルテン(仏塔)。
マニ車には中に経典が入っていて、それを水力によって回転させることで、お経がどんどん広まると考えられている。
チョルテンには、色々な形があり、チベット式の五輪塔式や、ネパール式の仏塔に目が描かれたものなどがあるが、ブータン式は一見小屋風。道路のど真ん中にあってみたり、横にあってみたり。
昼食はその名の通り Village Restaurant で。棚田のど真ん中にあるレストラン。キノコ類や唐辛子のみならず、茄子も干して食べるのだが、茄子(右側奥から2番目)はチップスのようにカリカリしていてスナックのようにいける。魚料理もあったが(左側一番手前)、今回は海の魚のよう。グアバが結構甘くて美味しい。
そろそろお米の刈り入れの時期のよう。
プナカゾン
プナカに到着。1637年に建立され、2番目に古い。(1番はシムトカゾン、3番はウォンディポダンゾン、4番はティンプーゾン、5番はパロゾン)
2本の川が合流する中央に位置し、右側の川が男性(ポチュ)、左側の川が女性(モチュ)とされている。ただし、洪水被害にあっており、平野部分も狭いことから、このプナカからティンプーに1955年に遷都されたが、それまで300年余り暖かいプナカは「冬の首都」だった。
1994年には、上流のヒマラヤの氷河が崩落決壊、大洪水を引き起こし、ゾンは問題なかったが、その前にかかる橋は流された。
川沿いに咲いたダリア。
ゾン内部の中庭には、チベット式チョルテン(ブータンの言葉ゾンカではジャンジュック)と、菩提樹の樹がある。(画像左)
日本でも地鎮祭を行うが、ブータンでもゾンが建てられる前の元の神様を祀ってあった。頭にはヒンズー教の蛇のナーガ神を思わせるものがあったが、この場合はそうではないとのこと。(画像右)
お堂では読経が行われおり、終わった後にはティーブレイクとしてお米がふるまわれていた。
堂内のご本尊は現在仏の釈迦牟尼、右にはマハヤナ(大乗仏教)のカジュ派であるシャトリンポチェ像、左にはマハヤナの二ンマ派であるグルリンポチェ像。(マハヤナは5つの派に分かれているが、この2つが二大派閥)
左右には、カジュ派の歴代のお坊さんの像があり、壁画には、仏陀の生涯が描かれている。母であるマハマヤ(=女王マヤ)と父ジュドダナの子供であるが、母がある日白い象の夢をみて吉兆と喜んでいると、彼女の右脇から仏陀であるゴータマシッダールタが生まれた。しかし母はその7日後に死に、彼女の妹が代わりとなって育てた・・・云々。
プナカは標高1350メートルと低く暖かいこともあって、お坊さん達は、冬にはこのプナカゾンに住み、夏にはティンプーゾンに移動する。
ゾンの前にかけられた橋を、糸杉の葉を大量にかついだ男性が行く。糸杉の葉はお香にも、家の火起こしなどもにも使われるのだとか。
学校帰りの少年。学校によって、民族衣装の制服も微妙に違う。
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