未だ朝日が射す前から、各農家から煙が立ち上っていた。
そして徐々に太陽が山の稜線から顔を出して来る。
早朝のきりっとした空気を吸いにしばし散歩を。朝日を浴びた赤米たち。
未だ7時過ぎだというのに、綺麗に洗濯ものを干している女性。
楽しかったブータン旅行も終了。パロ国際空港の待合室では、この日から始まったティンプーのツェチュ祭の様子が2台あるテレビのいずれからも放送され、尼さんがじっと観入っていた。
ブータンを訪れる外国人観光客の国別1位はアメリカ、2位が日本だったが、昨年のリーマンショック以降アメリカからの観光客は減少し、それまでと全く人数が変わらない日本が1位となった。
同じアジア諸国にちょっと2泊3日程度で遊びに行くと言った近場ではなく、まずは国営の飛行機の座席確保が先決(実質それで外国人観光客の数をコントロールしている)。また、政府が外国人に一日当たりの公定レートを出しており、気軽に行くという感じではないこともあってか、経済不況云々で左右されておられないと見受けるシニア世代の日本人観光客のツアーが圧倒的に多かった。後は若い日本人男性一人や女性一人(ブータン政府は全くの個人旅行を認めておらず、必ずガイドさんと運転手さんがつく)という個人旅行者をちらほら見かけた。
同じチベット仏教のチベットは中国のひとつの自治区となっており、ブータンは中国との国境を今は全て閉ざしている。西に隣接する国であったシッキム王国は、1975年にインドに併合されインドのシッキム州となりシッキム王国は消滅した。隣接する中国とインドという2つの大国の狭間にあって、自分たちのアイデンティティーを確立すべく、1989年に民族衣装の着用を義務化するなど、チベットやシッキムの同じ轍は踏まないようにと踏ん張っているブータン。
一番の産業は水力発電でインドへ輸出、二番目がツーリズム。押し寄せる西洋化の波の中、外国人観光客を受け入れれば入れるほど国が潤ったとしても、と同時に人のみならず物質も西洋文化も流れ込み、スローライフなブータンらしさが脅かされかねない。ブータンはそのブータンらしさがあってこそブータンなので、政府としては非常に難しい舵取りをしなければならないだろうが、ブータンらしくあり続けてほしいと感じた。
パロ10:35AM発のKB126便にてバンコクへ。
機内のノンヴェジタリアン食。今回の旅行中で我々が一番気に入った、ブータン人の国民食である、唐辛子のチーズ和えであるエマダツイor似たものが出てきのは嬉しかった。
飛行機からはヒマラヤ山脈が望め、最初に大きな山がひとつ。そして続いて連峰が見えてきた。
エヴェレスト(チョモランマ)8848メートルが見えると機長さんからのアナウンスがあった。あいにく連邦のどの山頂がエヴェレストなのかはわからなかったが、おそらく右から2番目の一番高い山かと。
帰路のバンコクでは泊まらなかったが、乗り換えの待ち時間が8時間程度あったので、飛行場に荷物を預け、バンコク市内へ再度繰り出した。その様子はその2へ。
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