岐阜の中津川と言えば栗の和菓子で有名だが、栗きんとんの発祥の地とのことで、その碑まで建っている。
お菓子祭
10月30日(金)~11月1日(日)の3日間、中津川でふるさとじまん祭として、多数の和菓子店などが出店する菓子祭りがあるので行ってみた。
会場入り口付近には、各お店が製作した工芸菓子が展示されていたが、あまりに精巧に出来ているので、お菓子で出来ているとは思えないぐらい。
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有名な「すや」「川上屋」はもとより、多数のお店が栗きんとんや栗関連のお菓子を売っていたので、1000円の福袋を 松月堂 で。
栗きんとんを使ったお菓子2種類は 七福 で。
しん では、栗きんとんを漉し餡でくるんだ森の実かくれんぼというお菓子がとても美味しかった。
チコリ生産でも有名なので、チコリ酒の試飲などもさせてくれた(画像右)。
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お菓子祭会場を後にして駅前へ。
中津川では栗きんとんを15もの和菓子屋さんが作っているのだが、そのうちの6店舗(信玄堂・松月堂・七福・満天星一休 どうだんいっきゅう・新杵堂・川上屋)の栗きんとんを一個ずつ6種類入れたセットが駅前で売っているので、その プチ栗きんとん巡り を購入。
中津川では栗きんとんを15もの和菓子屋さんが作っているのだが、そのうちの6店舗(信玄堂・松月堂・七福・満天星一休 どうだんいっきゅう・新杵堂・川上屋)の栗きんとんを一個ずつ6種類入れたセットが駅前で売っているので、その プチ栗きんとん巡り を購入。
中山道 中津川宿
中津川宿を観光。江戸日本橋を出て板橋宿から数えて中山道45番目の宿駅。京都側から下町、横町、本町、新町、淀川、茶屋坂と続く1100メートル(十町七間)。
脇本陣跡 を見学(画像左)。
中津川宿の中町と下町との間の横町は枡形という道が直角に2度曲った部分がある。敵の攻撃に対する防御や退却方法として、本陣や脇本陣のある中心部分が直線的に見通されないように造られたもので、その部分に「川上屋」があり、狭い道を挟んだ向いには「栗蔵」と書かれた川上屋の工場があった(画像右)。
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中津川宿の中町と下町との間の横町は枡形という道が直角に2度曲った部分がある。敵の攻撃に対する防御や退却方法として、本陣や脇本陣のある中心部分が直線的に見通されないように造られたもので、その部分に「川上屋」があり、狭い道を挟んだ向いには「栗蔵」と書かれた川上屋の工場があった(画像右)。
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因みに卯建は、隣家からの類焼を防ぐ為に造られた防火壁で、富裕者のシンボルでもあり、「裕福な家でなければ卯建を造ることが出来ない=うだつが上がらない」という言葉に転じた。
蔵元の間酒造 では、3種類を試飲できた。期間限定の「蔵だし一番」を購入。
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蔵元の間酒造は分家で、その本家にあたる。東濃随一の豪商と言われた間家。大正6年(1917年)に建てられた蔵は、それまでの土蔵造りに明治以降の近代的工法のコンクリート工法の過渡期がわかる建造物だそうで、市の有形文化財に指定されている。
内部には、中津川村銀札もあった。紙幣で、銀と交換できた。当時は銀一目は3.75グラムで小判一両の60分の1に相当し、銀百目は約一両三分とほぼ同額だったので、高価な紙幣だったのだそう。
散策後、中津川は栗が有名なだけでなく五平餅も美味しいとのことだったので、五平餅を食べることにし、中山道近くにある おふくろ へ。
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