大阪から名古屋に帰る道すがらということもあり、お正月の喧騒も明けて静かになったかと、京都に立ち寄ることにした。
上賀茂神社
賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)が正式名称。創建は、678年天武天皇の時代と言われている。
社殿の入口の葵の紋様の前には、しめ縄や松で作った宝船がかかっていた。
上賀茂神社と言えば
「神馬堂」の焼き餅。久しぶりに食べたくなったので、立ち寄った。その様子は
こちら。
西陣
西陣は、上京区内の東の堀川通から西の七本松通、北の鞍馬口通から南の中立売通あたりまでの範囲の中を指すが住所としては存在せず、エリアが正確に定められているわけではないのだそう。「西陣」という名前は、応仁の乱で山名宗全が堀川よりも西に陣をおいたとされたことが由来。
西陣織の源流は5~6世紀ごろ大陸から伝わり、飛鳥、奈良時代を経て平安京の遷都の際には現在の西陣付近で朝廷の管理下で発展。日本最古の伝統産業として1200年以上の歴史があるとのこと。
町屋を改装した
西陣織工芸美術館の松翠閣 を見学した。
現在、西陣で有名な織物業は5軒ほどあり、大小合わせると結構な数があるそうだが、ここは織元が運営している美術館。
お座敷には、目にも艶やかな西陣織の物が展示されている。
左:室内に置いて間仕切りに使った几帳。
右:幅の広い帯は丸帯。この丸帯1本で一軒の家が建つほど高価なものだったそうで、戦争後にはそのような贅沢が出来ないが結婚式に着用したいというニーズから現在の袋帯が造られた。
機械織りでも8~10日、デザインをおこして製作されるまでは3カ月ほどかかるのだとか。
機械織りと言っても、糸と糸の結びなどは人間が手で行う。
手織りと機械織りの違いもご説明いただいたが、素人目にはなかなかわかり辛い印象だったが、布地の裏に手織りの認定証がついているかどうかも判断材料になるとのこと。
昭和になって材木会社の社長が私邸として建てた家を改装して美術館としているので、明かりとりの為の中庭や坪庭があり、後から水琴窟も造られた。中庭をぐるりと囲む廊下には、西陣織が一面に敷かれていて、その上を歩くことになる。
離れの奥座敷には、オランジェリー美術館のモネの睡蓮からとったデザインを西陣織りで製作した物が展示されている。蓄光糸という暗闇でも発光する糸で織りこまれているので、電気を消して頂くと、睡蓮が浮かびあがるように見えた。
明治中期に建てられた蔵の中には、日月山水図と松島図のインスタレーション。電気がついている時。
ブラックライトの時。
完全に電気が消えている時。
伝統のみならず、革新的な技術開発なども行っておられる。現在はこういった展示物にしかその技術を生かしていないが、より幅広く活用されるようにしたいとおっしゃっていた。
入館には200円が必要だが、その際には織物が和紙に貼られた栞をくださるのも良かった。
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