愛知県稲沢市に、尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)通称は国府宮(こうのみや)がある。尾張の国の総社と定められ、国司が祭祀を執り行う神社だったことから、通称「国府宮」となったのだそうで、最寄りの駅名もその通称となっているのだが、そこの儺追神事(なおいしんじ)通称「はだか祭」という奇祭があるとのこと。
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奈良時代の神護景雲元年(767年)、称徳天皇が全国の国分寺に悪疫退散を祈れと勅命を発した時、国府宮で厄払いをしたのが、儺追神事となって現在まで伝えられており、裸の寒参りの風習が取り入れられたのは江戸時代末期とのこと。

そのスケジュールは3週間におよび、旧暦のお正月2日目(今年は西暦2月15日)から始まり、2月26日のはだか祭、そして3月7日の茶会までの一連の行事が続く。
旧正月7日にあたる2月20日には、奉納する為の大きな鏡餅を作る為の餅つきがあるとのことで観に行ってみた。
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今年は一宮市の萩原町が当番なのだそうで、朝6時から米俵にして50俵ものお米が炊かれた。
午前11時過ぎに旧正月2日目に選定式で選ばれた今年の神男(しんおとこ)という男性が烏帽子姿で登場。神男は、はだか祭当日に、他の裸男達が彼に触れることで自分達の厄災を祓うことが出来ると言われているので(それは江戸時代頃から始まった)、この日の登場時や退出時は、消防団の人達が手をつないで一般の人が触らないようにガードする通路を、これまた数名の男性にガードされながらとなる。
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壇上では、今年の神男の方の挨拶と共に、海部俊樹元首相や愛知県知事(海部さんの右隣)などが代わる代わる挨拶。そして12に分けられた臼を神男がそれぞれついて周り、その後いっせいに萩原町の人達がお餅をつき始める。
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文字通り老若男女がつくのだが、お神酒も飲み放題なので、男性陣は盛り上がっていた。
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この鏡餅は明治初期頃より5~6俵の鏡餅がお供えされたことに始まって、明治・大正を経て昭和15年頃から次第に大きくなり、昭和30年代から奉納地の名誉にかけて益々大きくなっているのだとか。
出来あがった大鏡餅は、台座を含めると高さ2m35cm、直径2m40cm、重量約4トンにもなるそうで、すでにクレーン車が用意されていたが、お餅をついた当日は未だお餅が柔らかい状態なので、型にはめておくだけとのこと。
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しかしすでに一番上に乗せるためのだいだいとして、羊羹1000本分、重さにして450キロの物が用意されていた。画像のだいだいはそれよりも小さい他の鏡餅用だが、それでも十分に巨大で、まるでだいだいが大きな大きな鏡餅ぐらいの大きさ。
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お神酒や黄粉餅もふるまいもあり、お神酒のお相伴にあずかったが、樽の香りがしてなかなか美味しかった。
隅の方では、痛んだ杵の修理のブースもあり、早速修理が行われていた。


はだか祭などの詳細は 国府宮のHP (←音が出ます)を参照して下さい。