三重に近い奈良の室生地区(宇陀市)に桜を観に行った。
山門脇と本堂横の大きな小糸枝垂桜が有名。樹齢は300年。



空から降りかかってくるような枝垂れ桜は見事のひとこと。
しかし、15年前には枯死寸前だったとか。肥料になるだろうと根元に撒いていた落ち葉に発生したキノコや根元に住みついた噛み切り虫が原因で、桜を根こそぎ起こし、トラック3台分の土を入れ替ることで生き返ったのだそう。

また、大野寺の目の前を流れる宇陀川の対岸の弥勒麿崖仏が有名。
鎌倉時代初期の承元元年(1207年)の作で、高さ11.5メートルの弥勒立像が線刻されている。日本での線刻麿崖仏としては最大。
中国の宋の石工により製作されたもので、50日ほどで岩面を整備し、9か月余りで光背部の彫刻と水磨きをし、仏像の線刻は9日間で完成したと記録されている。
対岸を弥勒の浄土とし、相対する大野寺の境内の花木は仏への供花になるのだそう。
麿崖仏の開眼供養の時には後鳥羽上皇が60数名を引き連れて盛大に行われた。
しかし風化が進んでしまった為、表面の苔などの除去のほか、樹脂を崩れかかった岩に注入したり、レーダーやファイバースコープを使って地下水を調べ、地下水の別の水抜き穴を作って排水するなど6年かけて1999年に修復が終了したのだそう。
天正8年(1580年)に開基。城之山枝垂桜は樹齢約300年。
西光寺から見た室生寺。(右手前ではなく奥の建物群)
女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。
天武天皇9年(680年)、上記大野寺と同様の役小角の草創、空海の中興という伝承もあるが、記録で確認できる限りでは、奈良時代最末期の草創と思われる。

五重塔(平安初期・国宝)は高さ16.1メートル。屋外に建つ五重塔では最小で、室生山中最古の建築。
塔の頂上の相輪が、普通であれば水煙であるのに対し、宝瓶を載せて宝鐸を吊りめぐらした天蓋を造っているなど他に類を見ない塔となっている。

塔の横の金堂(平安初期・国宝)の内部には、中尊の釈迦如来像を中心に、向かって右へ薬師如来と地蔵菩薩像、左は文殊菩薩と十一面観音像の五尊(国宝・重文、平安時代前・中期)が並び、その前に十二神将像(重文・鎌倉時代)が一列に配されている。(画像はHPより)

原生林の中を長い石段が奥の院の御影堂に続く。
途中には、杉のみならず暖地性のシダが多く群生しているが、暖地性シダの分布の北限となっており、天然記念物になっている。


表門界隈の桜に、思わずお坊さんも視線を投げかけていた。日を追うごとに桜の色も薄くなっていくとおっしゃっていた。
室生寺はシャクナゲでも有名で、17~8年ほど前にシャクナゲの頃に来て以来になるのだが、平成10年の台風で国宝の五重塔が酷く損傷したというテレビ報道の映像が脳裏に焼きついていただけに、現在は綺麗に修復されていて良かった。

ヤマザクラとエドヒガンの交配種であるモチヅキザクラ。
根の周囲は7.7メートルで、根株から2メートルの所で11本に分かれている。奈良県下では最大最古の株なのだそう。
あいにく、未だ小さく硬いつぼみがついている程度だったが、木だけでも迫力満点。
続いて、本郷の瀧桜(通称 又兵衛桜)、談山神社、明日香村の石舞台古墳に足を運んだが、その様子は その2へ。
大野寺
寺伝では、白鳳9年(681年)に役小角(えんのおづぬ)が開き、天長元年(824年)に弘法大師が室生を開いた時、室生寺の西の大門として建立されたお寺。山門脇と本堂横の大きな小糸枝垂桜が有名。樹齢は300年。




空から降りかかってくるような枝垂れ桜は見事のひとこと。
しかし、15年前には枯死寸前だったとか。肥料になるだろうと根元に撒いていた落ち葉に発生したキノコや根元に住みついた噛み切り虫が原因で、桜を根こそぎ起こし、トラック3台分の土を入れ替ることで生き返ったのだそう。



鎌倉時代初期の承元元年(1207年)の作で、高さ11.5メートルの弥勒立像が線刻されている。日本での線刻麿崖仏としては最大。
中国の宋の石工により製作されたもので、50日ほどで岩面を整備し、9か月余りで光背部の彫刻と水磨きをし、仏像の線刻は9日間で完成したと記録されている。
対岸を弥勒の浄土とし、相対する大野寺の境内の花木は仏への供花になるのだそう。
麿崖仏の開眼供養の時には後鳥羽上皇が60数名を引き連れて盛大に行われた。
しかし風化が進んでしまった為、表面の苔などの除去のほか、樹脂を崩れかかった岩に注入したり、レーダーやファイバースコープを使って地下水を調べ、地下水の別の水抜き穴を作って排水するなど6年かけて1999年に修復が終了したのだそう。
西光寺の城之山枝垂桜

室生寺

女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。
天武天皇9年(680年)、上記大野寺と同様の役小角の草創、空海の中興という伝承もあるが、記録で確認できる限りでは、奈良時代最末期の草創と思われる。

五重塔(平安初期・国宝)は高さ16.1メートル。屋外に建つ五重塔では最小で、室生山中最古の建築。
塔の頂上の相輪が、普通であれば水煙であるのに対し、宝瓶を載せて宝鐸を吊りめぐらした天蓋を造っているなど他に類を見ない塔となっている。

塔の横の金堂(平安初期・国宝)の内部には、中尊の釈迦如来像を中心に、向かって右へ薬師如来と地蔵菩薩像、左は文殊菩薩と十一面観音像の五尊(国宝・重文、平安時代前・中期)が並び、その前に十二神将像(重文・鎌倉時代)が一列に配されている。(画像はHPより)

原生林の中を長い石段が奥の院の御影堂に続く。
途中には、杉のみならず暖地性のシダが多く群生しているが、暖地性シダの分布の北限となっており、天然記念物になっている。



室生寺はシャクナゲでも有名で、17~8年ほど前にシャクナゲの頃に来て以来になるのだが、平成10年の台風で国宝の五重塔が酷く損傷したというテレビ報道の映像が脳裏に焼きついていただけに、現在は綺麗に修復されていて良かった。
佛隆寺千年桜
室生寺の南門として嘉祥3年(850年)空海の高弟が創建。
ヤマザクラとエドヒガンの交配種であるモチヅキザクラ。
根の周囲は7.7メートルで、根株から2メートルの所で11本に分かれている。奈良県下では最大最古の株なのだそう。
あいにく、未だ小さく硬いつぼみがついている程度だったが、木だけでも迫力満点。
続いて、本郷の瀧桜(通称 又兵衛桜)、談山神社、明日香村の石舞台古墳に足を運んだが、その様子は その2へ。
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