岐阜県は垂井の相川水辺公園には、350匹の鯉のぼりの川渡しが観られるとのことなので行ってみた。

垂井の鯉のぼり

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伊吹山の山頂付近には未だほんの少し雪が残っていた。
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桜の見頃は終えていたが、青空に勢いよく泳ぐ鯉のぼり達はなかなか良かった。三つ葉葵の紋が入ったものも。

垂井宿

中山道の宿駅で、美濃路の起点ともなっている。天保14年(1843年)には、315軒の家が軒を並べていた宿場。
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文化末年(1817年頃)建てられた家で、油商売を営み、明治以降は亀屋と称して旅人宿を営んでいた。

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春王、安王のお墓
結城合戦(1440~1441年)で敗れた足利持氏の遺子である春王丸と安王丸が、幕府方に捕えられ、金蓮寺で処刑されたとのこと。

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南宮大社 神武天皇即位の年の創建だが慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦で消失。寛永19年(1642年)徳川家光が再建したとされる。国の重要文化財。

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一里塚 旅人の休憩所や人馬を借りる駄賃定めの為に徳川家康が慶長9年(1604年)から8年をかけて江戸日本橋から一里(4キロメートル弱)ごとに主要街道に築かせたもの。5間(約9メートル)四方、高さ1丈(約3メートル)の塚の上に榎を植え、その塚が2基ずつある。
垂井の一里塚は112番目で、国の史跡に指定された一里塚として、中山道では東京板橋区志村の塚とこの垂井の2基だけ。
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竹中氏陣屋跡 豊臣秀吉の名軍師であった竹中半兵衛重治が拠点とした陣屋跡。しっかりした石垣や濠があるが、その奥はいきなり幼稚園になていた。。。

関ヶ原

関ヶ原の合戦は有名でも、高速道路や新幹線で通り過ぎてしまうことばかりだったので、行ってみた。
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関ヶ原決戦の地

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石田三成陣跡 高台になっているので、左前方からの家康軍などが良く見える。画像よりも右側に居た小早川軍の寝返りによって負けることになるのだが、、、画像の左中ほどにある田んぼの真ん中の白いポールのようなものが、上記決戦地の白いのぼり。

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三成陣営の矢来 矢来とは、竹や丸太を粗く組んで作った臨時の囲いのこと。竹矢来、丸太矢来(馬防柵)、組み方によっては角矢来、菱矢来などがある。

三成は正面にこの柵を二重にめぐらし、嶋と蒲生の指揮する二隊を全面と中間に配して、三成自身は警護兵と山頂に陣取っていた。

琵琶湖

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関ヶ原界隈をドライブしつつ、だったらついでに琵琶湖をちょっと見て帰ろうかと。関ヶ原も寒かったが、北琵琶湖畔の長浜も結構寒く、未だ桜が十分見頃だった。