2日目その1 からの続き

大手24時間のスーパーマーケットが多かったが、あえて名護の地元っぽいスーパーに行ってみた。
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特産の紅芋、そしてお肉売り場では豚の色々な部位が豊富だった。

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特産のもずくは、「もずく酢」ではなく「もずくシークワーサー」となっている物も。
画像右の左側はゆし豆腐、右は島豆腐。

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ブログでお世話になっている ココナッツさん がお作りになっておられたスクガラス。食べてみたかったので思わず購入。さすがに沖縄そばの麺コーナーは充実。

スクガラスとは:スクガラス(カラスグワー)は、南日本に分布するエーグァー(アイゴ)の稚魚のことで、旧暦の6月から7月の満月の日に孵化した稚魚で、えさを食べ始める前に漁獲し、塩漬けにして保存したもの。
ワタガラスとは:カツオの酒盗(カツオの内臓を塩漬けにしたもの)のことを沖縄ではこう呼ぶ

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画像左:
黒糖も種類が豊富。
せっかくだからと地元の今帰仁黒糖をゲット。とても甘いが濃厚で美味しい。


画像右:
アメリカ軍の影響を少なからず食文化にも受けていて、スパム、コンビーフ、ルートビアなどが沖縄では親しまれていると聞いていたが、スパムやコンビーフの種類の多さはさすが。





紅芋タルトで一躍有名になった御菓子御殿へ。その様子はこちら

万座毛(まんざもう)


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琉球国王が広い平坦な場所を見て、万人を座らせることが出来ると言ったということで万座毛と呼ばれるようになった場所。その下は断崖絶壁。
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反対側には万座ビーチが広がる。





恩納(おんな)

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沖縄特産の海産物の海ぶどう。その海ぶどう養殖で有名な恩納へ。
あいにく土曜の午後に行ったところ、漁協がやっている販売所は閉店していたが、養殖場がずらっと並んでいて仕分け作業をされていた。




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小さな何気ない漁港の水の色も、まるでパステル画のような色だった。







座喜味(ざきみ)城跡

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ユネスコの世界遺産。
15世紀初期に築城家である護佐丸(ごさまる)によって築かれたと伝えられ、標高120メートルの台地に石灰岩の切石積で取り囲む方法で築城され、2つの郭からなる連郭式。
面積は約4000平米程度と中規模だが、アーチ門が有名。アーチ石がかみ合う門の表と裏量面にくさび石がはめ込まれ、他の城(グスク)では見られない為、このアーチ石門が沖縄で現存する最古のものと見られているのだそう。
建物に瓦は使われておらず、板葺か茅葺だったと思われ、中国製の青磁や陶器が一番多く出土している。
太平洋戦争中には、一の郭内に日本軍の高射砲陣地が、戦後はアメリカ軍のレーダー基地が建設されたのだそう。

勝連(かつれん)城跡

イメージ 6同じくユネスコの世界遺産。
標高97メートルにある。
阿麻和利(あまわり)が居城した城と伝えられる勝連城跡は、沖縄の城の中でも最も古く、12世紀頃と伝えられており、現在の規模になったのは14世紀ごろ。阿麻和利は上記 座喜味城を建て、追って中城(なかぐすく)に移った護佐丸を滅ぼし、さらに琉球統一をめざし国王の居城である首里城を攻めたが落城して滅びた。
城主は勝連按司(かつれんあんじ)から最後の阿麻和利(あまわり)までの10代となり、初代の勝連按司は沖縄最古の歌謡集である「おもろさうし」に多く詠まれていて、非常に繁栄していたとのこと。
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木の下にはトゥヌムトゥと言われる石が置かれており、旧暦の2月と5月に行われる祭祀(ウマチー)の時に神人(カミンチュ)が座るもの。









一の曲輪(くるわ)からは、大和系瓦も出土していて、首里城、浦安城とこの城だけが瓦葺だったことがわかる。
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二の曲輪の西側には「火の神ヒヌカン」が 今帰仁城 と同様にある。

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そこからの眺めは格別。海中ロードを経て平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉大橋を経て浜比嘉島などが良く見える。

この後、海中ロードや浜比嘉大橋を渡って浜比嘉島へ。その様子は その3 で。