最終日のランチはやはり沖縄そば。今度はテビチ(豚足)そばを食べに行った。その様子は こちら


今回の旅行は、那覇から今帰仁(なきじん)あたりまでのドライブだったが、その時に目にしたものの雑記として。

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広い国道沿いでも、細い道でも、お墓を多く目にする。家の横にある場合や、墓所として固まっている場合もあるが、点在しているという印象。
それが今まで思っていたお墓のイメージとは異なり、とにかく一個が大きく一軒分ぐらいの広さがあるような物も多々。しかもその作りが家のような大きな建物。

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聞くところでは、上画像の左は亀甲墓、右は破風墓。
丁度4月25日の週末は清明(しーみー)と言って、ご先祖様のお墓の前で皆が飲み食いをする沖縄の行事があり、地域差はあるものの24日には結構街中で喪服の人をみかけた。
もともとは火葬ではなく風葬だったそうで、竹富島では、今はもう違うのかも知れないが風葬(だった?)だそうで、約6年ほどご遺体をお墓に入れておくと白骨化し、それを処理するのだそう。途中で親族が亡くなって同じお墓に入れる際には、それはそれは異臭がして大変なのだとか。

沖縄に見られる亀甲墓について

亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか、かみぬくー(亀の甲)ばか)は、沖縄県に多い墓の形式のひとつ。沖縄本島でも中南部によく見られる。この他に破風型(破風墓)、家型(屋形墓)というのが、沖縄県に多い墓の形式であり、本土にあるような四角柱形の石の墓はあまり見られない。

一般に緩やかな斜面に多く見られ、亀の甲羅状の石の屋根の下に、畳にして4畳から大きい場合は8畳くらいの石室が設けられている。

亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、母の胎内、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味している。中国の易経の世界観では、人の一生が、誕生以前の漆黒の闇を黒冬し、青春(青年期)、朱夏(壮年期前期)、白秋(壮年期後期)を経て、老い衰えて目も見えず、耳も聞こえなくなると、再び死の闇に戻る。これで一生の円環が閉じるのだが、この四つの季節に方位の東西南北が当てられ、それぞれを四聖獣が守護するといわれ、北の玄冬(老年期)に充てられているのが、伝説上の亀の一種、玄武であることから、母体の中の闇の世界を亀の甲羅で覆ったのではないか、と考えられる。

こうした墳墓は沖縄県の他に台湾、香港、中国本土では福建省など中国南部に多くあり、大陸からの伝播ではないかと見られている。

古来日本列島全体に風葬の習慣があったが、沖縄県ではこの習慣がこの墓と融合し、死後数年間は遺骸を石室内に放置し、数年後に親族(特に長男の嫁)で洗骨して改めて骨壷に納骨して石室に収めることから、石室内部は広く設けられている。近年では沖縄県でも本土同様に火葬するケースが多くなっていることから、小規模な亀甲墓も見られるようになってきており、集合霊園に骨壷が納められる程度の小さなものが設置されることも増えてきている。本土でも、移住先に墓所を設けた沖縄県出身者が小規模、もしくは一般的な墓石サイズの小さな亀甲墓を建立した例がある。

春の彼岸には、各地で馳走を用意して、その家の亀甲墓の前で歓談しながら食事をしたり飲酒をしたりする習慣(清明祭)が残っている。   (wikipedia より)

そして ♪ざわわ ざわわ ざわわ♪ ではないが、サトウキビ畑。
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一見のどかなゆったりとした空気感の流れる南国だが、なぜかやたらと地名を知っている。辺野古、宜野湾、嘉手納、名護、普天間、、、以前では読み方も知らなかった地名なのだが。
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イメージ 8不勉強ながら、こんなに米軍基地のフェンスが国道や民家の真横にあるとは。フェンスに囲まれていると言っても過言ではないような気さえしてくる。
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イメージ 10全く行くまで知らなかったのだが、丁度4月25日は清明祭でもあるが、米軍基地移転の県民大会の日でもあり、前日カーラジオを聞いていると、嘉手納基地そばの読谷村で開かれる県民大会に向けて道路の渋滞が予想されると言っていて、初めて知った次第。。。

そこに向かうであろう若いお嬢さんの運転している車には、シンボルカラーの黄色いリボンが結ばれていたが、一方日曜日なので基地の人達も大勢ドライブなどをしているようで、Yナンバーの車を多くみかけた。
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今回が初めての沖縄旅行。南国気分を味わうのなら日本ではなく東南アジアに行く方が面白いと思っていたが、いやいやどうして沖縄も面白い。素晴らしい風景や歴史的建造物、そして目新しい食文化にも目をうばわれたが、人が優しいという印象にも癒されたような気がする。わずか2泊3日では、やんばる地方や南部にまで足を運べなかったので、また機会を作って行ってみたいと、RAC(琉球エアコミューター)や数多くの自衛隊機が駐機している那覇空港を後にした。 撮りためた個性派シーサー達は こちら