その1 からの続き 
 
ゴッホとゴーギャン
ゴッホは、印象派に影響を受け、オランダ時代の暗い色調とは対照的な、明るい色彩と闊達な筆遣いで描き、その内面を表現するかのような、力強い筆致と激しい色彩による独特の画風を生み出すが、ゴッホとゴーギャンが共同生活を試み、悲劇的な破局を迎えることとなった。
一方ゴーギャンは、単純で力強い色彩の装飾的な画面に、観念的な主題を描く独自のスタイルを確立。文明に絶望し、未開文化の豊穣さに楽園を見出したゴーギャンは、その後タヒチに向かい、人間の本質を追求した。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 自画像 1887年
ゴッホは、短い生涯の間に、40点ほどの自画像を制作。
この作品では、印象派の点描による筆触分割に影響を
受けたタッチは、長く引き伸ばされ、顔面には、赤と緑で
大胆なアクセントが添えられていて、激しい内面を色彩や
タッチで表現している。
緑の絵の具は印象派や新印象派の影響を受けつつ、
よりうねるような彼の画風となっていく。
 
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フィンセント・ファン・ゴッホ 星降る夜 1888年
ゴッホは夜の空を描いた作品がいくつかある。
実は、星の位置など正確に描いており、星とガス灯の
違う光を対照的に描き、星のきらめきかたが厚塗りと
なっていて迫力がある。
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フィンセント・ファン・ゴッホ 
アルルのゴッホの寝室
 1889年
ゴッホの寝室の絵は3点あり、1888年に1点、
1889年に2点描かれているが、これは最後の
もので、休息を意味している。
 

イメージ 11ポール・ゴーギャン 
「黄色いキリスト」の自画像 1890~91年
タヒチに出発する前に描いた最後の自画像。
背景に、自らの姿を重ね合わせた崇高なキリストと、
野性的な性格が伺えるゴーギャン自身の顔を模った
グロテスクな顔をした壺を描いている。
自分の顔を壺に向けることで、文明社会との決別を
意味し、二つの対照的な肖像に囲まれた自画像は、
ゴーギャンの新たな出発を示す宣言とも言われている。
 
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ポール・ゴーギャン 
タヒチの女達
 1891年
背景が装飾的で奥行きもなく、陰影や質感よりも、
単純で大胆な描き方となっている。
後のナビ派に影響を与えた。
 

 
ポン・タヴェン派
ブルターニュ半島の小村、ポン=タヴェンに滞在していたゴーギャンは、平坦な色面に強い輪郭線というクロワゾニスムの手法で描いていた若きベルナールと出会い、クロワゾニスムに基づく力強い描法に主観的な内容を総合する総合主義と呼ばれる理論を打ち立て、ポン=タヴェン派と呼ばれる一派を形成。後のナビ派登場にも影響を与える。
イメージ 13エミール・ベルナール 
愛の森のマドレーヌ
(画家の妹)1888年
若干20歳のベルナールが、ポン=タヴェンを流れるアヴェン川ほとりの、通称「愛の森」に横たわる17歳の妹マドレーヌを描いた作品。
(彼女は24歳で結核で亡くなるが)
前景にひときは大きく描かれた彼女は、総合主義という新しい理念の創出を見守る女神のように、優美に力強く表現されている。
妹の身体と背景からすると大きさがミスマッチで、平面的となっている。
クロワゾニスム技法(暗い輪郭線によって分けられたくっきりしたフォルムで描かれた ポスト印象派の様式のこと)を使用。

ナビ派
1888年秋、ゴーギャンの指導のもと、セリュジエが一枚の風景画、「護符(タリスマン)」を仕上げる。自然の色の束縛から脱した大胆な色彩で描かれたこの作品から、セリュジエ、ドニ、ボナール、ヴュイヤールらは、ナビ派を結成。ヘブライ語で「預言者」を意味するナビ派は象徴主義的な精神土壌に根ざし、平坦な色面を多用した装飾的な画面に大きな特質がある。
イメージ 14ポール・セリュジエ 
護符(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川 1888年
ゴーギャンの教えにしたがって描いたもので、
何色に見えるかでそのままの色をのせている。
ナビ派結成の引き金となった作品。
 


イメージ 15モーリス・ドニ 木々の中の行列(緑の木立) 1893年
画面をリズミカルに分断する緑色の木々の向こうの、平坦な白い雲と白い衣の乙女たちの列。さらに後景では、天使が羽根を広げており、ナビ派の
理論家で象徴主義に近しかった当時の
ドニの思想がよく表れている作品。
絵画を「ある一定の秩序のもとに集められ
た色彩で覆われた平面」としている。イメージ 3



ピエール・ボナール 
格子柄のブラウス(20歳のクロード・テラス夫人) 1892年
「日本かぶれのナビ」と呼ばれたボナールが、浮世絵などの
日本美術の影響を強く受けて描いた作品。
西洋の伝統にはない縦長の判型、遠近法を用いず、模様のように
貼り付けられたブラウスの明るい格子模様などが顕著。
格子柄をあえて平面的に描く方法も、日本絵画に影響を受けている。
 
 
 
 
内面への眼差し
ナビ派のボナールやヴュイヤールらは、身近な室内の情景を好んで描き、親密で内面的(アンティーム)な雰囲気を強く漂わせるその画風は、アンティミスムと呼ばれた。
 
イメージ 4エドゥアール・ヴュイヤール 
ベッドにて
 1891年
同系色でまとめた平板な色面の組み合わせが、
ナビ派の造形的特質をよく伝えている一方、
眠りという主題は、理性の背後にある豊かな
精神世界への没入を暗示している。

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ギュスターヴ・モロー オルフェウス 1865年
モローの代表作。詩人で竪琴の名手オルフェウスは、
愛妻を失った悲しみにより、女性を遠ざけ歌わなくなって
しまったが、そんなオルフェウスに怒りを覚えたトラキアの
バッカスの巫女たちにより虐殺されてしまう。
モローは、オルフェウスの物語に、若い女性が流れついた
オルフェウスの首と竪琴を拾い上げるという新しい
エピソードを創作して描いた。
今まで印象派では神話などにはモチーフをえていなかったが、
モローは神話をベースに内面を表現しようとしている。
 
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ピエール・ピュヴィ・ド・シャパンヌ 
貧しき漁夫 
1881年
妻を亡くして静かに祈る貧しい漁夫とその背後の二人の
子供の姿だが、人体の表現は平板で、水平線が高く設定
された背景も、色調を抑え平面的に描いている。
特定の物語に基づかないこの作品は、その簡略で抑制
された造形そのものによって、深い宗教的感情を呼ぶもので
ゴーギャン、スーラ、ドニ、ピカソらに影響を与えることになる。
 
アンリ・ルソー
パリ市の税関職員だったルソーは、独学で絵画を学び、稚拙な表現は批判の対象でもあったが、シンプルで力強い表現力や、細部まで均質に描き込まれた画面、遠近法によらない独自の空間表現、独創的な色彩の対比やグラデーションなどは、伝統的な絵画技法とは大きく異るが、ピカソやアポリネールに称賛されて次第に評判は高まり、20世紀の前衛絵画にも大きな影響を与えた。

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アンリ・ルソー 戦争
 1894年
アマチュア画家だったので、絵の訓練も
受けておらず、独自の画風。
足元ではカラスが人肉をついばんでいて、
おどろおどろしかった。
   
 
 
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アンリ・ルソー 蛇使いの女
 1907年
満月の夜、深緑の森の湖畔で笛を吹く黒い蛇使いの女。
その音色に誘われて、とぐろを巻いた蛇たちが顔をのぞかせている。
ルソーの晩年の傑作で、太古の自然をも想像させるこの
幻想的なジャングル光景は、細部まで精緻な筆致で描き
込まれている。
画家ロベール・ドローネーの母からの注文によるもので、
異国風景の連作のひとつだが、実際にルソーは南国を旅した
ことは生涯なく、空想の熱帯を描いていた。
 
 
装飾の勝利
19世紀末から20世紀初頭にかけては、優美な曲線が美しいアール・ヌーボーが席巻した時代で、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に端を発する、芸術と生活の融合を目指すデザイン革命がなされた。
 
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エドゥアール・ヴュイヤール 公園、子守、会話、赤い日傘 1894年
9点の連作の一部で、室内の装飾パネルとして描かれた。
日本の屏風の影響を受けている。ヴュイヤールは、舞台装飾に携わっていた経験から、装飾性が強く演劇的な空間の作品となっており、また、写真が普及している時代なので、写真的な構図でもある。
フレスコに似たマットな仕上がりを特徴とするデトランプ(岩絵具をポリビニール溶液に混ぜたもので、比較的早く乾く)を用いているテンペラ画。


オルセー所蔵の作品が多数観られてとても良い展覧会だったが、いかんせん混んでいたのには疲れた。