今回、新しく出来た 三菱一号館美術館での「マネとモダン・パリ展」 と、国立新美術館での「オルセー美術館展 2010 ポスト印象派展」 を観たが、時間が少しできたので、印象派展をしているブリヂストン美術館にもせっかくなので足を運んでみた。(以下は備忘録として。画像および解説はブリヂストン美術館のHP等より)
印象派とポスト印象派1
モネは、16歳年上のブーダンに絵を学び、戸外で描き始めた。1860年代末には小さなタッチで明るい色を使い、1874年に「印象 日の出」という作品を発表。印象派という言葉かそこから生まれた。1880年代には、ポプラや大聖堂を異なる時刻や天候によって光を描き分けた連作を発表。
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クロード・モネ 黄昏、ヴェネツィア 1908年頃
68歳だったモネが妻アリスと共に念願のヴェネツィア旅行を実現させ、9~12月までヴェネツィアに滞在した時に描かれた。抽象画のようだが、色と光と自然の様子を現場そのままに描いている。

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クロード・モネ 睡蓮の池 1907年
自宅に日本風の太鼓橋なども備えた庭を造り、60歳近い頃に、ほぼ同じサイズ、同じ構図で、時刻が少しずつ違う睡蓮の作品をおよそ15点描いた。それらを連作として、その後200点以上も描く。この絵は夕暮れ時の情景で、池の水面に周りの景色が映り込む様子、現実と反映(映り込み)のコントラストを描いている。 額縁(画像にはないが)は、モダン趣味による彼自身が作ったもの。

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アルフレッド・シスレー サン=マメス、六月の朝 1884年
印象派の典型的特徴が良く出ている。筆触が良く残る荒々しいタッチで日差しを浴びた葉を表現し、奥行きを出すことで成功している。
 
印象派とポスト印象派2
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ポール・セザンヌ 帽子をかぶった自画像 1890~94年頃
がっしりとした人体のヴォリュームが、あいまいな背後の平面と対比され、帽子や背中の部分の輪郭線が反復によってズレを生じていたり、周辺部のいくつもの個所でカンヴァス地がむき出しになっていたりするが、これらは意識的な「未完成」と思われ、絵画における空間・オブジェ(物)・平面についての画家の思考をあらわにした秀作。武者小路実篤ら白樺派の尽力の結果、1920年(大正9年)に、セザンヌの油彩として初めて日本にもたらされたもの。

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ポール・セザンヌ サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール 1904~06年頃
セザンヌの故郷エクス=アン=プロヴァンスの象徴とも言うべき標高約1000メールの山で、50回もこの山を描いているが、この絵は最晩年のもの。光に重きを置いた印象派を越えた造形を模索し始め、規則的な斜めのタッチなど独自の画面を作ろうとし、キュビズムに影響を与えた。
 
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ポール・ゴーギャン 乾草 1889年
タヒチに行く直前に、ブルターニュで描かれた。光ではなく、緑や青の装飾的な画風は印象派とは異なる。

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オーギュスト・ルノワール すわるジョルジェット・シャルバンティエ嬢 1876年
ルノワールは仕立て屋の父親とお針子の母の間に生まれた。モネと共に戸外に出て描き、焼き物工場で絵付師として働いた経験を持つ。晩年はリュウマチに悩まされた。ルノワールのパトロンで出版業を営むシャルパンティエ家の令嬢を描いたものだが、独自の表現を確立して間もない頃なので、発表当時、手足の描き方など批評家からは酷評を浴びた。
 
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オーギュスト・ルノワール 少女 1887年
パステルによる作品。衣服の色と背景の色を一緒にしたり、背景に赤を使うなど、18世紀ロココ芸術に憧れていた影響が見て取れる。

日本の印象派
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黒田清輝 プレハの少女 1891年
左からの光を受けた明暗の対比や強い眼差しが緊張感を与えている。

19世紀から20世紀へ
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ピエール・ボナール ヴェルノン付近の風景 1929年
ゴーギャンからの強い影響をうけて成立したナビ派のボナール達は印象派の写実主義に抵抗し、日本の浮世絵から感化をうけ平面的で装飾的な画面を構成したが、ボナールは20世紀になるとしだいに印象派に傾倒して行った。
 
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アンリ・ルソー 牧場 1910年
 
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アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック サーカスの舞台裏 1887年頃
新しく収蔵された作品で今月15日から公開されているもの。
 
マティスとピカソ
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アンリ・マティス 画室の裸婦 1899年
アトリエ内のヌードモデルを題材にすることは極めて当たり前だが、画風は非常に斬新。反対色の緑と赤は、よりお互いを強調している。1899年という時期には、冒険的な色の使い方。
 
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アンリ・マティス 青い胴着の女 1935年
1905年のサロン・ドトンヌで誕生したフォーヴィスム(野獣主義)という美術運動は、原色とそこから導かれる明快な色彩を強烈な筆触によって画面に併置するという、過激な表現を特色とする。1907年頃からはじまるキュビスムの中心にいたのはピカソだが、彼らは形態の分析に、一方キュビスムの発展にも関心をもつマティスは三次元的な肉体と平面的な装飾モティーフの融合に腐心した。
描いては直すという時間のかかった作品。その過程をマチス自身が写真に撮っており、最初は写実的だったがデフォルメして単純化して行った。全ての曲線が統一感を持っている。
 
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パブロ・ピカソ ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙 1913年
中央のマール瓶の茶色の部分には新聞紙が貼り付けられ、その上に白いペイントで立体的に見せており、平面的なものと立体的なものとのコントラストがある。奥行きのあるものを幾何学的に単純化して3次元から2次元にするキュビズムの特徴を良く示しており、また現実の物を取り入れるコラージュも特徴。シュールレアリズムのアンドレ・ブルトン氏がかつて所蔵していた。
 
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パブロ・ピカソ 腕を組んですわるサルタンバンク 1923
サルタンバンクとは曲芸などをする大道芸人のこと。1910年前後はキュビズムに傾倒していたが、1920年代になって古典主義に向かった。ピアニストのホロヴィッツ氏がかつて所蔵していたもの。 
 
ルオーと20世紀前半の美術
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ジョルジュ・ルオー 郊外のキリスト 1920~24年
パリ周辺の工場街を思わせる道に立っているキリストと2人の従者という設定。何度も塗っては削る絵の具の層が見え、光と遠近法による構成が寂寥感と神秘性を生んでいる。
 
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ジョルジュ・ルオー ピエロ 1925年
何度もピエロを描いているが、キリストにも似ている。ルオーは14歳でステンドグラス工房に修行に行っていたので、黒い輪郭はその影響か?
 
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マルク・シャガール ヴァンスの月 1955~56年
1944年に愛妻を亡くしたが、1952年65歳で再婚した幸福に満ちた絵。
 
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ジョルジョ・デ・キリコ 吟遊詩人 ?年
この絵は、シュールレアリズムが生まれる基盤となった。
 
抽象絵画の展開
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パウル・クレー 島 1932年
油彩と、砂を混ぜた石膏が使われている。

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ジャクソン・ポロック Number 2, 1951 1951年
第二次世界大戦の後の抽象表現主義。ドリッピングの技法による。スペインの壁画、ヨーロッパのキュビズム、シュールレアリズム、アメリカインディアンの砂絵などから影響を受けている。
 
 
国立新美術館のオルセー展に比べ空いていたので、ゆっくり椅子に座って鑑賞したり、絵からずっと後方にさがって観ることが出来るなど、なかなか良かった。