奥越前の大野市を後にして、永平寺へ。大野市の様子は 2日目その1

永平寺

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樹齢700年の杉の巨木に囲まれ、「美しい日本の歴史的風土百選」に選ばれている。
全国に1万5千の末寺、檀信徒800万人という曹洞宗の第一道場で、全国から毎年100名を越える修行僧が入山してくる修行道場でもある。道元禅師は、正治2年(1200年)京都に生まれ、14才で比叡山で出家し、24歳で中国に渡り、「坐禅」という方法を日本に伝えた。最初、京都に道場を作ったが、寛元元年(1243年)越前の国に移って寛元2年に永平寺を開いたのだそう。

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傘松閣(さんしょうかく)の絵天井の大広間
平成6年の改築で、2階の156畳敷きの大広間は昭和5年(1930年)建築当時の天井絵をそのまま修復。天井絵は、昭和5年当時の著名な画家144名による230枚の花や鳥の色彩画。


法堂(はっとう)

七つあるお堂、七堂伽藍の一番奥にあるお堂。
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天保14年(1843年)に改築された説法道場。中央の本尊の手前の階段左右には、阿吽の白獅子像がある。
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仏殿
明治35年(1902年)の改築で、中国宋時代の様式を用い、二重屋根と床は石畳。中央の須弥壇には、本尊の釈迦牟尼仏が祀られ、3体(画像では左右は見辛いが)の仏像は左から過去・現在・未来を
表している。

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中雀門(ちゅうじゃくもん)仏殿から臨む。

山門 寛延2年(1749年)改築のもので、永平寺最古の建物。中国唐時代様式の楼閣門で、両側に四天王が安置されている。
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門の2階には、十六羅漢と五百羅漢が祀られているそうだが、拝観はできない。
門の両側に書いてある漢文の意味は、「ここは出家修行の道場であり、家風は非常に厳格である(右側の言葉 画像)、求道心の在る者のみこの門をくぐるが良い(左側の言葉)」

祠堂殿
昭和5年(1930年)の新築。全国の信者の位牌などが収められている。大きな数珠もかかっていた。
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階段状の回廊は、ぴかぴかに磨きあげられている。

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坐禅の為のクッションが置かれていた。

瑠璃聖宝閣(るりしょうぼうかく) なる宝物館は、出口付近にあってあまり気づく人がいないようなのだが、国宝の「普勧坐禅儀」などが展示されていた。


1泊2日という駆け足での九頭竜温泉、越前大野、そして永平寺への小旅行となったが、なかなか充実したものとなった。