クアラルンプール市内観光 その1 からの続き
マスジッド・ヌガラ(国立モスク)


1965年に建てられた国立モスク。信者以外は礼拝堂内には入れないが、外側のエリアの見学時も、男性でも短パンは不可、女性は頭にスカーフが必要で足を出したものも不可。見学に来ていた外人の男性2人は短パンだったと見えてローブを借り、女性はスカートだったのかローブ、そしてフードもかぶっていた。
私の場合は、長袖長ズボンで行ったので、スカーフを借りて見学。
1957年に独立宣言がされた独立広場の前には、イギリス統治時代の頃の建築が多い。
旧連邦事務局ビルであるスルタン・アブドウル・サマド・ビルは、1894年にイギリス人建築家ノーマンによって建てられたヴィクトリア様式とムーア様式のレンガ造りのビルで、全長約137メートル。
時計塔の高さは40メートル。
イギリス統治時代は行政府の事務局だったが、現在は最高裁判所。
レンガが小さいトロピカル風ヴィクトリア様式はマレーシアのみ。タマネギ型のドームはオーストリア大統領から贈られたもの。

8月31日が独立記念日だったので、周囲のビルにも国旗が掲げられている。
右側の白い建物は、上から見るとダビデの星のマークがふたつ重なったようなデザインで、韓国と日本(熊谷組)が建てたツインタワー建設時に技術を学んだマレーシア人による初めての高層建築ビルになるのだそう。

クアラルンプールは、マレー語で「泥の川の合流点」という意味。
19世紀中頃に、クラン川とゴンバック川の合流点で錫(すず)が発見され、以降、錫鉱山の街となった。掘り出された鉱石を川で洗った為、川に泥水が流れるようになったことからネーミングされたそうだが、2つの川の色は異なっていた。昔は、ここまで川は汚くはなかったとのこと。

飲茶の昼食を。




ムルカデ・スクウェア(独立広場)&旧連邦事務局ビル

旧連邦事務局ビルであるスルタン・アブドウル・サマド・ビルは、1894年にイギリス人建築家ノーマンによって建てられたヴィクトリア様式とムーア様式のレンガ造りのビルで、全長約137メートル。
時計塔の高さは40メートル。
イギリス統治時代は行政府の事務局だったが、現在は最高裁判所。
レンガが小さいトロピカル風ヴィクトリア様式はマレーシアのみ。タマネギ型のドームはオーストリア大統領から贈られたもの。

8月31日が独立記念日だったので、周囲のビルにも国旗が掲げられている。
右側の白い建物は、上から見るとダビデの星のマークがふたつ重なったようなデザインで、韓国と日本(熊谷組)が建てたツインタワー建設時に技術を学んだマレーシア人による初めての高層建築ビルになるのだそう。
クアラルンプール発祥の地&マスジッド・ジャメ

クアラルンプールは、マレー語で「泥の川の合流点」という意味。
19世紀中頃に、クラン川とゴンバック川の合流点で錫(すず)が発見され、以降、錫鉱山の街となった。掘り出された鉱石を川で洗った為、川に泥水が流れるようになったことからネーミングされたそうだが、2つの川の色は異なっていた。昔は、ここまで川は汚くはなかったとのこと。

2つの川が交わる地に一番古い
マスジッド・ジャメモスクが建っている。
1909年建立。
国内唯一の壁がないモスク。
マスジッド・ジャメモスクが建っている。
1909年建立。
国内唯一の壁がないモスク。
飲茶の昼食を。




チャイナタウン

カットフルーツ屋さんでジャックフルーツを。
ブラジルのアマゾンで食べた秀逸のジャックフルーツとまではいかなかったが結構甘かった。


さすがはチャイナタウン。
生きた鶏が入った檻の上ではそれを捌いている鶏肉屋さん。
生きた鶏が入った檻の上ではそれを捌いている鶏肉屋さん。
トゥン・H・S・リー通の関帝廟

ヒンズー教寺院であるスリ・マハ・マリアマン寺院がある。


お供えの花を売っているお店

この寺院は、1873年に建てられたマレーシア最大のヒンズー寺院で、1999年に改装されたもの。入口にはバナナの大木が立ててあり、多産を願っているのだそう。門の横では牛乳を売っていた。聖なる生き物である牛のミルクで内部の像などを洗うために売っている。
屋根などに施されたヒンズー教の聖人達の像は、誰ひとりとして同じ人の像はないのだそう。
タイプーサムというお祭りの時には、ここから北へ約10キロ離れたバトゥ洞窟までねり歩く。
バトゥ洞窟

ヒンズー教の聖地となっていて、272段の階段を上がると、大きな洞窟がある。


そしてさらに66段(段差のある階段を使えば49段)上がった所に聖者スブラマニアンが祀られている。ちょうど、神官の人が参詣者の額に赤い印をつけているところだった。
この洞窟の聖地にまつわる逸話として:
昔、王様には二人の息子がいた。それぞれに、世界一周をして来た方を世継ぎにすると言った。兄は実際に世界一周をして帰って来たが、弟は何処にも行かずに自分の世界は両親であるとし、王と妃の周りをくるっと回っただけ。王様は機知に富んだ弟を選び、兄は傷心し、空の象徴である父にも、大地の象徴である母にも帰属しないこの位置にお寺を建立した。

境内の、特に階段付近には野生の猿がいっぱい。
人に慣れていて、お菓子などをねだっていた。
人に慣れていて、お菓子などをねだっていた。
ツインタワーなどの市内観光の様子は その3 へ。
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