サンダカンの観光を終え、コタキナバル経由ブルネイ・ダルサラーム国へ。
サンダカン 16:10発 MH3001便 コタキナバル17:55着
直接コタキナバル行きかと思いきや、ボルネオ島最北端の町であるクダットを経由してコタキナバルに行くフライトだった。そしてなんと18人乗りの小さな小さなプロペラ機。
窓からはジャングルとそこを縦横無尽に広がる川が望める。



ほぼ乗客でいっぱいだったが、経由地であるクダットに到着すると、そのほとんどが降りて、マレーシア人のおじさん2人と我々とガイドさんの5人だけがコタキナバルまで行くもよう。パイロットさんと副操縦士さん(左のサングラスの人)は、とてもフレンドリーで、そのマレーシア人のおじさん達に乞われると一緒に飛行機をバックに写真を撮るなどしていたのだが、操縦席に乗っても良いよとまで言ってくれた!!

おじさん達は大喜びでパイロットさんの
イヤホンまでつけて写真におさまっていた
ので、我々も操縦席に座らせてもらった。
イヤホンまでつけて写真におさまっていた
ので、我々も操縦席に座らせてもらった。

この話を、もとキャビンアテンダントの友人にしたところ、911以降、絶対に操縦室と客室の扉を開けても、ましてや一般乗客をコックピットに入れるなど硬く禁止されている為、ひたすらビックリしていたが、我々としてはおおらかな機長さんと副操縦士さんに感謝、感謝♪と言ったところ。

二人掛けのシートとは言っても、背もたれは
ひとつで、シートベルトが2人分あるだけで
まるでバスか何かに乗っているようだった。
ひとつで、シートベルトが2人分あるだけで
まるでバスか何かに乗っているようだった。




コタキナバルに近付いてくると、先日我々が泊ったホテルなども良く見えた。

コタキナバル19:45発 BI 828便 ブルネイ王国の首都バンダル・スリ・ブガワンの空港20:25着
ブルネイ・ダルサラーム国 とは・・・国名は「永遠に平和な国」という意味。ブルネイ王国の起源は不明だが、15世紀には国王がイスラム教徒に改宗しイスラム国家となり、その最盛期には、ボルネオ島全土とフィリピンのミンダナオ島をも領土にしていたが、徐々に衰退し、18世紀末には現在とほぼ同じ、三重県ほどの大きさになってしまった。そして、1888年にイギリス保護領へ。1963年にシンガポール、ボルネオ島のサバ州、サラワク州を加えてマレーシア連邦が結成され、1965年にシンガポールが分離独立して現在のマレーシアが出来たのに対し、ブルネイは1963年のマレーシア連邦構想には参加せず、イギリス保護領のまま、1984年に独立を果たした。国土の7割はジャングル。人口は約40万人。立憲君主制で、国教はイスラム教。 7割がマレー系、2割弱が中国系など。
海上油田や陸や海からの天然ガス資源により、世界でも最も豊かな国とも言われ、子供も含んだ人口40万人に対し、車は26万台。ガソリン代はハイオクで1リットル当たり約40円。8割が公務員で、平均給与は東南アジアで一番。
医療費や教育費は全て無料、公共料金も住宅ローン金利も安く、個人所得税もかからない。1ブルネイドルでバスで何処へでも行け、マレーシアと違ってクーラー付のバス。
国が作った家に10年賃貸として住めば、その後、その家は個人の物となる。
通貨のブルネイドルはシンガポールドルと連動しており、物価はマレーシアより高め。
画像にはないのだが、ブルネイの航空会社のキャビンアテンダントの女性は皆イスラム教にのっとった制服のスカーフを巻いているが、非常時の脱出路やライフジャケット着用説明の時だけはスカーフを取っていた。
また、到着間近になると、それまで一切テレビ放送をしていなかったのだが、モスクの映像とアラビア文字のテロップが流れてアラビア語で何か言っていた。時間帯からして「ラマダンが無事に終了しました~ハリラヤです~」みたいな意味があるのかと想像していたのだが。
ホテル到着後、遅めの夕食を。ここが最後の宿泊地となるので、最後はブルネイ王国の王族が以前保有していたという豪華なエンパイヤ・ホテルに泊ることにした。(広大なホテルの様子は こちら)
夕食はホテルの Pantai Seafood Restaurant で。

バイキングだったが、アルコールが外国人であれ一切販売していない敬虔なイスラム国家であるブルネイ。カクテルならぬモクテルを注文。アルコールが入っていないので、ようはミックスフルーツジュースのようなものになる。


グレープフルーツに似たポメロのサラダは
さっぱり美味しかった。
さっぱり美味しかった。

その場でラムや色々なお肉をグリルしてくれ、焼きそば風?なものも具をこちらが選ぶと作ってくれる。


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