大阪、京都と案内したので、この日は奈良へ。

2週間後に、光明皇后の1250年法要が行われるとのことで、大仏殿の正面からではなく横から入ることになり、大仏殿の両脇に
は色々な飾りやセットが用意されているところだった。



友人が面白がるかと鹿の餌を買ってみたのだが、友人に餌を渡す前に大勢の鹿が寄って来て、全く痛くはないのだが、服は噛んでひっぱられるは、お尻も噛んでおねだりされるは、、、

丁度、キンモクセイがとても良い香りを放ち、ピンク色の萩も見頃だった。


軽めの昼食をとりに行くことにした。
1909年創業。関西の迎賓館としての役割後は、GHQによる接収を経て、ホテルに再び戻った。
そこのラウンジで軽食を。その様子はこちら



昨年6月に、NYからの別の友人を案内した時は、阿修羅像は60年ぶりに興福寺を出て全国行脚中だったので、丁度観られなかったのだが、今回は戻って来ていたので観ることが出来た。
入口のおじさんに念のため阿修羅像があるかどうか聞いたところ、「はい、いてはります。」と擬人化&尊敬語だったので、それを友人に伝えると面白がっていた。
この興福寺には建物などはもとより、一体いくつの国宝があるのだろうと思わせる素晴らしいものが宝物館に目白押し。
阿修羅像734年
正面は眉に皺をよせ何かの決意を秘めた表情、向かって右は穏やかで自分の内面を見つめているような表情、向かって左は下唇を噛み苦しみのような表情と、前日に観た三十三間堂の阿修羅像の表情とは全く違ったものとなっていたのも比較が出来て良かった。
仏像ブームにもなる前の昔は、こんなに観光客もおらず、現在のような立派な宝物館ではなく、阿修羅像もガラスケースに入ってぽんと置かれていたと思うのだが、現在はライトアップも素晴らしくずいぶん「お変わりになられた」ものだと。(仏像画像はいずれもHPから)

木造天燈鬼・龍燈鬼立像(もくぞうてんとうき・りゅうとうきりゅうぞう)
結構私のお気に入りの2体。鎌倉時代のものだが、仏像に初めて木以外のものを取り入れて造られており、左の像の眉毛には銅が使われているのだそう。
他の乾漆十大弟子立像などの中には、歯が抜けて辛そうな表情のお坊さん像だったり、ガリガリに痩せていても柔和な表情のお坊さん像だったりと個性があり、友人も非常にここの宝物館には満足な様子で、Uターンして再度時間の許す限り好きな像を眺めていた。

足を伸ばして明日香の石舞台へ。
今年の春に桜や菜の花に囲まれた石舞台を観に行った時とはまた異なり、白やピンクの彼岸花(曼珠沙華)が咲いていた。春の様子は こちら
7世紀のお墓である石舞台は蘇我馬子のものと言われている。



石舞台の回りには、白い彼岸花が綺麗だった。
交雑種かとも思うのだが、ピンクの彼岸花も中には咲いていた。


明日香の田園風景はたわわに実った稲穂と真っ赤な彼岸花のコントラストで、非常に綺麗だった。そして萩も満開。



一路、大阪へ。
いつもブログでとてもお世話になっている りんさん からここの夜景をお勧め頂いたので、行ってみた。



通天閣もライトアップされていた。
夕食は同じ階にあるビストロで。ブノワでの様子はこちら
東大寺

2週間後に、光明皇后の1250年法要が行われるとのことで、大仏殿の正面からではなく横から入ることになり、大仏殿の両脇に




友人が面白がるかと鹿の餌を買ってみたのだが、友人に餌を渡す前に大勢の鹿が寄って来て、全く痛くはないのだが、服は噛んでひっぱられるは、お尻も噛んでおねだりされるは、、、

丁度、キンモクセイがとても良い香りを放ち、ピンク色の萩も見頃だった。

奈良ホテル

軽めの昼食をとりに行くことにした。
1909年創業。関西の迎賓館としての役割後は、GHQによる接収を経て、ホテルに再び戻った。
そこのラウンジで軽食を。その様子はこちら


猿沢池&興福寺

猿沢池から興福寺の国宝五重塔を臨む

昨年6月に、NYからの別の友人を案内した時は、阿修羅像は60年ぶりに興福寺を出て全国行脚中だったので、丁度観られなかったのだが、今回は戻って来ていたので観ることが出来た。
入口のおじさんに念のため阿修羅像があるかどうか聞いたところ、「はい、いてはります。」と擬人化&尊敬語だったので、それを友人に伝えると面白がっていた。
この興福寺には建物などはもとより、一体いくつの国宝があるのだろうと思わせる素晴らしいものが宝物館に目白押し。

仏像ブームにもなる前の昔は、こんなに観光客もおらず、現在のような立派な宝物館ではなく、阿修羅像もガラスケースに入ってぽんと置かれていたと思うのだが、現在はライトアップも素晴らしくずいぶん「お変わりになられた」ものだと。(仏像画像はいずれもHPから)

木造天燈鬼・龍燈鬼立像(もくぞうてんとうき・りゅうとうきりゅうぞう)
結構私のお気に入りの2体。鎌倉時代のものだが、仏像に初めて木以外のものを取り入れて造られており、左の像の眉毛には銅が使われているのだそう。
他の乾漆十大弟子立像などの中には、歯が抜けて辛そうな表情のお坊さん像だったり、ガリガリに痩せていても柔和な表情のお坊さん像だったりと個性があり、友人も非常にここの宝物館には満足な様子で、Uターンして再度時間の許す限り好きな像を眺めていた。
石舞台古墳

足を伸ばして明日香の石舞台へ。
今年の春に桜や菜の花に囲まれた石舞台を観に行った時とはまた異なり、白やピンクの彼岸花(曼珠沙華)が咲いていた。春の様子は こちら
7世紀のお墓である石舞台は蘇我馬子のものと言われている。



石舞台の回りには、白い彼岸花が綺麗だった。
交雑種かとも思うのだが、ピンクの彼岸花も中には咲いていた。


明日香の田園風景はたわわに実った稲穂と真っ赤な彼岸花のコントラストで、非常に綺麗だった。そして萩も満開。



大阪 ブリーゼブリーゼ

一路、大阪へ。
いつもブログでとてもお世話になっている りんさん からここの夜景をお勧め頂いたので、行ってみた。


大阪を案内した時に登った梅田スカイビルには、丁度女性の
癌撲滅を願ったピンクリボンがライトアップされていた。
癌撲滅を願ったピンクリボンがライトアップされていた。

通天閣もライトアップされていた。
夕食は同じ階にあるビストロで。ブノワでの様子はこちら
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