沖縄本島から東へ5キロの所にある久高島(くだかじま)に行ってみることにした。
久高島は、琉球の創造神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話聖地の島。周囲8キロ、人口200名程度。
土地を短冊形に区分けし、家族数や年齢によって配分するという共同体的土地所有の方法(地割)で、集落の土地を区の共有地として現在も引き継いでいる島でもある。

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知念安座真(あざま)港から高速船で15分。








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久高島交流館
久高島の神事について詳しく解説している。
比嘉康雄氏の写真が多数あり、久高島について解説したDVDも借りて観ることも出来る。


 
 
沖縄では古くから太陽が昇る東の方向を「アガリ」と呼び、海上の彼方に「ニライカナイ」という理想郷があると信じていた。琉球の創造神であるアマミキヨもニライカナイから渡来したと言い伝えられている。
本島南部、東海岸の聖地巡りは「東御廻り(あがりうまーい)」と言う。さしずめ四国お遍路88か所の沖縄版と言ったところか。王族が五穀豊穣を願って、首里城の東に点在する14か所の聖地を巡拝した行事が起源となっている。国王のたどったルートが次第に士族や民間へと伝わって巡礼の道が出来た。
琉球王国時代には国王が聞得大君(
1470年に即位した尚円王の王女を初めて任命して以来、王女・王妃・王母など王族の女性が代々その職につき、明治12年の首里城明け渡しまで存続した)を伴って久高島に渡って礼拝を行っていた。後に沖縄本島の斎場御嶽(せいふぁうたき)から久高島を遙拝する形に変わり、1673年(延宝元年)からは、国王代理の役人が務めるようになった。

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島の東側の道を北上。
風が強いこの島では、フクギの防風林が多様されている。右側のフクギの林に何ヶ所か道がつけられていて、東海岸に出ることが出来る。






イメージ 12伊敷浜(いしきばま) 
久高島の東海岸。浜に流れ着いた壷の中に五穀の種子が入っていたと記載されており、五穀発祥の地とされる聖地。
島の東海岸はサンゴ礁が広がる遠浅になっていて、イノー(サンゴ礁の礁原に発達する礁地(しょうち)や内湾などの静穏な浅い水域)が続く。
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足元は砂浜ではなく、良く見ると全部サンゴが細かく砕けたもの。

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そして白い石がゴロゴロしている部分は、大きなサンゴが徐々に丸みを帯びて岩になっていく過程が良くわかる。

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海水がたまった部分には
ナマコが多く生息していた。





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遠浅なので、はるか遠くででもゴーグルをつけたおばあさん達が何かを獲っていたり、鳥も魚を狙っていたり。
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グンバイヒルガオ(軍配昼顔)日本では鹿児島県から   
沖縄県の海岸と、大分県佐伯市の元猿海岸に生育。


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              アダン
まるでパイナップルが木になっているような植物で、暴風・防砂に使われ、かつては食用にされていたが、手間がかかるわりに繊維質が多くて可食部が少ない為、今は石垣島で新芽を食べる程度。


ビロウの葉
年間30もの祭礼行事があり、多くの植物が使われる。このビロウの葉は、扇や神座や、神事を行う建物の壁などに使われる。
 

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島の最北端へと続くまっすぐな道。先には海が見えてくる。

カベール(はびゃーん)
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島の最北端。
創造神アマミキヨが降り立ったとされる地であり、海神が白馬の姿で降臨したとも伝わる聖地。







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このエリアでは、亜高木層、低木層、草本層の3つの階層構造の落になっている。
ウコンイソマツなど小さな植物が、岩の穴などを利用して風に耐えながら花を咲かせていた。
 










ロマンスロード
  
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西側の海岸からは、沖縄本島の知念や玉城方面などが一望できる。