ポカラ市内観光の ネパール旅行⑥ からの続き。

国際山岳博物館

広い敷地の大きな建物内に登山、地質、動植物、民族、環境などさまざまな資料が展示されている。

イメージ 1民族の分布図があったが、民族によってカーストや宗教も異なるなど、なかなか複雑。
36民族あるが、王族はサハー民族でヒンズー教徒。大統領など政治のトップはブラフマン出身。
お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)は高位のサキャ族出身だった。
Thakali 族は一番お金持ち。
Kami, Gaine, Sarki 族は身分では最下層なのだそう。
 
イメージ 2
 
 
 
女性で初めてエヴェレスト登頂に成功した田部井淳子さんの
当時身につけていた装備などが展示されていた。
 
 
 
 
 
イメージ 12
 
七大陸最高峰の最年少登頂に成功した
野口健さんの現在の活動である
清掃登山で持ち帰って来た山に放置された
酸素ボンベなど色々なゴミも展示されている。

パタレ・チャンゴ & グプテシュワール・マハーデヴ洞窟

イメージ 13
 
 
 
「地獄の滝」という意味のパタレ・チャンゴ。
フェワ湖からの水が流れて来ている。
以前にトレッキングに来ていたスイス人のデヴィッドという
人がここで行方不明になったことから、「デヴィズ・フォール」とも言われている。
乾季なので、水が岩を丸く削り取って流れて行く様子が
良くわかる。

 
グプテシュワール・マハーデヴ洞窟
イメージ 14
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
パタレ・チャンゴからすぐの所にある洞窟。
乾季なので、パタレ・チャンゴの滝が流れているのが良く見えがその洞窟も雨季になると5メートル以上水位があがって
一番下の洞窟の天井まで水が来てしまい、
滝などは見られないのだそう。
 
 
 

チベット人居留地

イメージ 15
 
1959年に、中国軍侵攻によりチベット動乱が起こったが、その時にダライ・ラマと共にチベットからネパールに逃げて来た人達の為に、1961年にスイス政府と赤十字の協力のもと造られた居留地。500名程度。
(現在ダライ・ラマはインドを拠点にしている)
 
イメージ 3
 上の画像のようにもともとの居留地の建物はみずぼらしいが、絨毯工場などを営み、商売がうまいことから現在では3~4階建の集合住宅などを建てて住んでいるのだそう。
 
 
 



近くにあった寺院
 
 
 
 
ポカラの街で見かけた風景:
 
イメージ 4
 
 
結婚式場
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 

 
大木などの幹に黄色と茶色で着色してあるのは
木につく虫除けなのだそう。



 
 
 


 
 
 
12月28日~1月1日まで、フェワ湖のレイクサイドでは、年末年始のストリートフェスティバルが開催されていた。

イメージ 6
色々な屋台や食堂、ゲーム屋さんなどが出ていて、最終日のこの日は街中の人達が集っているのではないかと思えるぐらい、大勢の人が繰り出して来ていた。

 
イメージ 7
 









 
 
民族衣装を着たグルン族の人達

 
イメージ 8
 

 
 
 

 
タマン族のダンスには、
大勢の人達が見物していた。
 
 


 
 
 
イメージ 9
 

ホテルのラウンジで焚き火にあたりながら、バーのお兄さん
お勧めのホットラムにジンジャーを加えたカクテルを。
 
 
 
イメージ 10
 















イメージ 11
 
 
 
 
 

ストリートフェスティバルの最終日は
歌手がコンサートを開き、花火が上がった。
勿論日本の花火のような豪華さはないが
すぐ目の前のフェワ湖の中州で打ち上げて
いるので、花火が湖面に映り、なかなか
迫力があった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日に教えてもらった受け売り:

道沿いで長蛇の列を見たのだが、病院や銀行はいつも並ぶのだそう。

ネパール内は14県にわかれ、県境でなくても街道ではチェックポイントがいくつもある。
有料のチェックポイントもある。お金を集めていたのは、若い私服の男性達だが、公務員とのこと。

公務員の給与は月給8000ネパールルピー~5万ネパールルピー(1ネパールルピー=約1.1円)

人気のある(憧れの)職業は、エンジニア、医者、パイロットなど。

主食のお米はインドから輸入している為、キロ当たり40ネパールルピーでパンよりも高価。
 
翌朝は、ポカラのサランコットの丘から日出と共にヒマラヤの山々を臨む。その様子は ネパール旅行⑧ で。