国立マイセン磁器美術館所蔵のマイセン磁器がサントリー美術館に来ているので観に行ってみた。
日本や中国の磁器に影響を受け、西洋の王侯貴族は宮廷のステータスシンボルとして東洋の磁器を収集していた一方、西洋では謎だった磁器の製法を解明すべく競いあっていた。そしてヨーロッパで初めてマイセンで成功。当時は「白い黄金」と呼ばれていた。
17世紀に、ザクセンのフリードリッヒ・アウグストⅠ世(1670~1733)の命により、錬金術師であるベットガーが、マイセンにあるアルブレヒツブルク城を工場として6年かかって1708年に磁器の開発に成功した。しかしベットガーは37歳で亡くなる。
その後、日本の柿右衛門の色である赤を開発したのは、絵付師であるヘロルト。1731年までに彼が作った16色は今もマイセンの基本色となっている。日本の柿右衛門と中国のインペリアルイエローを取り入れた作品なども展示してあった。
(各画像は美術館及び、NHKのHPより)
(各画像は美術館及び、NHKのHPより)

シノワズリ人物図青地瓶 (装飾デザインは1726年)
シノワズリとは、中国風の楽園を描いたもので、
王のイニシャルである「AR」の文字が上部に黄色で示されている。

インド文様花卉文
ココア・セルヴィス
(1770年頃製造)
「インド」とつくのは、
東インド会社の交易によるため。
その後、銅版画の花文カップや皿など、西洋の様式が誕生していく。

スノーボール貼花装飾ティー・ポット(18世紀中頃)
ケンドラーが作った貼花装飾。
細かい花をひとつずつ表面に貼っていくこのシリーズは、東洋の模倣から西洋独自の物へ移行したことが良くわかる。

アウグストⅠ世は、「日本宮殿」と名付けた磁器の宮殿を計画。磁器で出来た動物による動物園をケンドラーに造らせる。宮殿は実際には出来なかったが、5年間で570体も造られた。
メナージュリ動物彫刻 コンゴウインコ
原型制作は1732年
アウグストⅠ世亡き後も、宮廷の華やかな装飾品を生みだしていくが、次の王様は磁器よりも絵の方が好きだった為、ケンドラーの製作が停滞。
11メートルもの磁器で出来た等身大の騎馬像を制作する予定だったが、頭の部分の製作後、戦争で騎馬像制作は頓挫。
今でも定番のムギワラギクのデザインは、枯れても色や形が変わらないムギワラギクに不滅という意味合いを持たせて、この時期から造られていた。ロイヤルコペンハーゲン釜でも、同様にムギワラギクのモチーフが使われているが、オリジナルはマイセンとのこと。
また、同じく定番のブルーオニオンだが、当時西洋にはザクロがなく、ザクロをタマネギの一種だと思って描かれていたのだとか。。。

ユーモアと風刺を入れたフィギュリン。
猿の楽隊(原型制作1753~1755年)
石膏型による細かなパーツによって成形されている。
異国情緒や、猿をモチーフにして、人間の愚かさを戯画している。
京都の高山寺にある鳥獣戯画の磁器版のよう?
と思ってしまった。
また、フリーメーソンは当時教皇によって禁止されていたが、フリーメーソンのメンバーとパグ(原型制作1743年)に見られるように、フリーメーソンのフィギュリンを造っていたりもした。
その後、隣国プロイセンと、マイセンのあるザクセンとが戦争となり、ザクセンは敗北。守り続けていた磁器製造の秘伝も漏えいしてしまったが、その後、裕福な市民がマイセンを収集することで、マイセンの地位は確立されていった。
豊穣の女神ケレスにみられるような、新古典主義のビスキュイ(素焼き)にすることで、大理石の彫刻のような作品も登場する。
また、富裕層の趣味にあわせ、光沢金という金彩色のものも開発された。

陶板画 横たわる若い女性
19世紀前半
ブーシェの油絵をもとにしている。
額縁も磁器で出来ていた。

クラテル型大壺勝利の行進
1893年のシカゴ万博に出品した。

神話図壺
ゼフィロスとアモール、
プシュケあるいは音楽のアレゴリー
18世紀中頃
1900年のパリ万博に出品された作品。

19世紀後半から20世紀にかけてのアール・ヌーボーなど、モダンなものも。
ウィング・パターン・セルヴィス
(1901~1903年)

象の大燭台
(1924年)

粘土を上に塗り重ねていくパット・シュル・パット技法も開発され、
浮彫装飾を可能にした。
「アラビアン・ナイト」大花瓶
1974年
花瓶のみ型を使っているが、周りのものは
全て手びねりによる。
画像はないが、入口に飾ってあるスワン・セルヴィスのシリーズは圧巻。そのシリーズは(全てが日本に来ているわけではないが)2000点以上で構成されているのだそう。
第二次世界大戦後、東西に分断された冷戦時代に、マイセンは社会主義体制下の東ドイツ側となる。
以前に、オランダ人と結婚したドレスデン出身の女性と話す機会があったのだが、彼女が幼い頃の東ドイツと、今のドレスデンとでは比べ物にならないと、壁の崩壊で180度変わったというようなことを言っていた。
マイセンを取り巻く環境もさぞや異なったことだろうが、近年は専属のデザイナーによるものではなく、外部のデザイナーのものも取り入れるなど、時代と共に移り変わっていく磁器の変遷を見ることが出来て面白かった。
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