豊田市足助の雛祭りの展示「中馬のおひなさん」には昨年も行ったのだが、人を案内がてら今年も行くことにした。足助の約130ものお店や家が、中馬海道と言われる街道沿いを中心に約2キロに渡ってそれぞれ持っている雛人形を無料展示するイベント。(昨年の様子は こちら)昨年との内容が重複することもあるが備忘録として。
 
この地方では女の子のみならず男の子が生まれた時にも、この雛人形を作っていたのだそう。界隈は皆農家なので、5月は忙しく端午の節句を祝う余裕がないことから、新しく生まれた子供の家では、男女を問わず3月に誕生を祝っていた。(今現在は5月の端午の節句も祝うそうだが)
御殿飾りなどに見られる屋根の形の違いで、その家に生まれた子供が男の子か女の子かわかり、しゃちほこなどが乗って上に高い屋根が男の子、屋根が平たいのが女の子の誕生に時に作られた雛人形とのこと。
御殿造は昭和30年~40年ぐらいから徐々に金屏風に変わって無くなっていったのだそう。
 
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左側のものは江戸時代末期
 
右側のものは大正時代のもので、女の子誕生のお祝いとして
 
 
 
 
 
 
 
 
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三人官女や五人囃子もが御殿に入っている御殿飾りも。
 
 
 
 
 
 
 
 
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御殿造は昭和29年のもので男の子のもの。土雛は大正初期。
右にかけてある着物も100年以上古いもの。
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だるま抱き人形は珍しいのだそう。
明治36年製。
 
 
 
 
 
 
 
 
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この雛飾りは造り酒屋であった加東家のもの。
裏千家11代玄々斉宗匠の好みにより設計された茶室。
 
 
 
 
 
 
 
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築200年の老舗和菓子屋さんの両口屋さんのお雛様。
8代目の長女(写真の右側の子供さん)の初節句に実家から送られたお雛様で当時は5段あったそうだが、現在は内裏雛だけが残った。
その長女が生まれた時に着ていた産着も展示されていた。
 
 
足助の町は築200年を超える家も多く、土間を開放して雛人形を展示しているなど、雛人形のみならずそのたたずまいを拝見できるのも面白い。
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築230年の油屋さん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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弓矢屋さん
 
 
 
 
 
 
 
 
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もと呉服屋で、明治に旅籠となった「三嶋屋」さんでは、開き戸や格子や障子戸など足助の古い建物の特徴が良くあらわれている。
 
 
 
 
三河土人形
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産地は現在の碧南市。江戸時代後期に、京都を行き来していた飛脚の杉浦佐与八という人物が、京都の伏見土人形を真似たのが始まり。また、碧南には、豊富な瓦粘土と瓦職人の技術があり、明治10年頃から旅役者の亀島久八が芝居の知識を生かし、歌舞伎の人形を考案してこの地方の土人形を発展させたのだとか。
庄屋さんなど蔵を備えた豪農は別として、昔は周囲一帯貧しい農家しかなく、雛人形や雛飾りを買うことが出来なかったので、雛人形1対だけを子供が生まれた家が用意し、親戚がお祝いに他の土人形を贈ったのだそう。
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こだま雛
この地方は養蚕農家も多く、養蚕が始まると期間中、
こだま雛を飾って繭作りに励んだのだそう。
手に桑の葉を持ち、蚕、繭、さなぎがその上に乗って
いるという面白いお雛様。
 
 
 
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竹雛
 
 
 
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唐辛子の魔除け
唐辛子を稲穂で編み込み、壁などにつるしておくと
魔よけになると言われ、唐辛子が乾燥することで唐辛子がひとつずつ落ちると厄も落ちるとも言うのだそう。
 
 
 
 
 
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尾張名古屋の雛祭りの時のお餅である押し餅(おこしもの、おこしもん)や、この地方ではそれよりも主流の「いが饅頭、いが餅」が売られていた。
 
 
 
おこしものは三河地方独特の節句菓子で、米粉を熱湯で練り上げ、鯛や菱餅などの型で抜く。
砂糖や塩分は入っていないので、軽く焼いて醤油か砂糖醤油をつけて食べる。
 
 
 
 
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いがまんじゅう は、米粉の生地で餡を包み、表面に色づけしたもち米をつけて蒸したお菓子。
「稲の花」の意味の「稲花餅」からきたとも、栗のいがに見立てたとも言われている。
滑稽本の「浮世床」(1813~23年)の化し売りの呼び声に、うぐいす餅や安倍川餅と一緒にいが餅が出て来るように、江戸時代には庶民的な菓子だったとのこと。
「伊賀餅」の表記があるためか三重県の伊賀の食べ物という解釈もあるが、現在は、広島、滋賀、秋田、山形、愛知県など各地で作られている。
中には漉し餡か粒餡が入ったお菓子なので、おこしものよりは食べやすい印象だった。
 
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街道横の筋を入ると、黒板塀やマンリン小路と言われる茶色い板塀がある。
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足助は火縄銃の町でもあり、毎年10月に町をあげて火縄銃を撃つお祭りがある。
火縄銃の暴発防止や火の粉避けに使われる藁の束が、お祭りの後には無病息災として、家の軒先に吊るされたり置かれたりしていた。
 
 
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樹齢はわからないのだが、梅の大木があり、
その枝全てに花をつけた満開のさまは圧巻だった。