近江町市場、茶屋町の主計町を観た後、同じく茶屋町であるひがし町へ。

ひがし町

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文政3年(1820年)に、加賀藩12代藩主の前田斉広が、町人達の風俗を取り締まる為に、金沢の中心部に点在していたお茶屋をあえて集めたのがはじまり。通りに面して1階を揃いのキムスコ(木虫籠)と呼ばれる出格子、背の高い二階は座敷で吹放しの縁側とするお茶屋の町並みが見られる。
 
 
 
お茶屋を公開している 志摩 へ。
国の指定重要文化財。
 
文政3年(1820年)に建てられた。典型的なお茶屋の造りとなっていて、二階が客間なので天井が高く、二階の高い造りは、江戸時代にはお茶屋だけが特別に許された。遊芸が披露される「控えの間」、一階は「大戸」や「石室」などが江戸時代のままに残されている。
座敷廻りには「面皮柱めんかわばしら」と言われる丸太に漆で全体に色づけしたものを用い、ベンガラ色の土壁など独特な造りとなっている。
道路側から、「前座敷」、「なかの間」、「ひろ間」、「はなれ」となっているが、なかの間意外はいずれも必ず控えの間がついていて、そこが演舞の場となる。押し入れなどはない。
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前座敷
 
 
 
 
 
 
 
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ひろ間
 
一番整った座敷で、創立当時は磨き
白木や透かし彫りなど贅沢な造りと
なっていたが、町奉行によって
差し止められたのだとか。
 
 
 
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控えの間
 
 
 
 
 
 
 
 
 
はなれでは、演者は現れずに笛の音だけを楽しむ影笛なども演じられたのだそう。
 
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綺麗なかんざしや櫛、漆器の数々が展示されている。
 
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ひがし茶屋休憩館 は、旧湧波家の住宅の主屋を公開したもので、ボランティアの方が色々と解説してくださった。
商人や職人が住んだ町屋を体験できる。
 
引き出しのついた階段の中には2か所、ヒノキで出来た引き出しがあり、防虫防湿の効果があり、薬を入れていた。
 
 
階段のない中二階は、丁稚部屋で、
夜に家に逃げ帰らないようにハシゴを
はずしていたのだそう。
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土間に続く畳は、お店の人が座って応対する為に足がしびれないように柔らかい畳、表の板の間から続く畳は人が行き来するので硬い畳となっている。
実際踏んでみると、硬さが全然違う畳だった。
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ひがし町界隈では、旧暦の8月に豊穣を願ってトウモロコシが供えられ、お祓いされたトウモロコシを軒先に吊るして1年間の無病息災で過ごせるのだとか。
 
 
 
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この後は、武家屋敷や尾山神社へ。その様子は その3 で。