外食をして家路につこうとしたところ、近くでお囃子などが聞こえて来たので観に行ってみた。
筒井町では天王祭というお祭りの宵祭りとして、山車が2輌が曳行されていた。

湯取車
万治元年(1658年)に、東照宮祭礼車として中区旧桑名町で造られ曳き出されていた古車を天保2年(1831年)に、当時の情妙寺前(現在の東区筒井町四丁目)へ譲り受け現在にいたったもの。
名古屋市内現存の山車では最も古い。
窯から湯気が噴き出すように紙ふぶきが舞うというからくり。

神皇車
広井村新屋敷という所が所有していた山車だったが、笹島(現在の名古屋駅)を造るにあたり、全住民が移転しなければならなくなり、その山車を西筒井町が明治20年(1887年)に譲り受けたもの。
山車は文政元年(1818年) or 文政7年(1824年)に建造された後、昭和28年に改造されている。
中央の巫女が、鬼面、そして龍神へと変化するからくり。

担ぎ手がよいしょ!っと担ぎ手側の車輪を浮かせる。




曳き回された後の路面。
2輌の山車は、それぞれの町内へと。
神皇車は、徳川家の菩提寺である建中寺の山門横に祀ってある小さな鳥居へ。画像では暗いが、右側の総門は、慶安5年(1652年)草創当時のもの。


最後、関係者全員で神社に拝礼して終了。
ふと見ると、東海テレビの「ぴーかんテレビ」というローカル番組でメイン司会をされている福島智之アナウンサーがこの山車を担いでおられた。
昨年10月の「なごや祭」では、名古屋開府400年を記念して、東区から5輌、中区から1輌、中村区から3輌が参加する合計9輌を見ることが出来たが、今回はそれほど大勢の見物人ではなかったので、より間近に見られて楽しめた。また、昼間と異なり、提灯火入れがされているので、また違った山車の雰囲気を味わえた。
そのなごや祭の時の様子は こちら
この日(金曜)は宵祭り。そして土曜、日曜と続く。日曜には徳川園で、出来町の3輌も加わった東区の5輌が参加する徳川園山車揃えがあるとのこと。
筒井町では天王祭というお祭りの宵祭りとして、山車が2輌が曳行されていた。

それぞれのからくり人形の実演が行われる。

湯取車
万治元年(1658年)に、東照宮祭礼車として中区旧桑名町で造られ曳き出されていた古車を天保2年(1831年)に、当時の情妙寺前(現在の東区筒井町四丁目)へ譲り受け現在にいたったもの。
名古屋市内現存の山車では最も古い。
窯から湯気が噴き出すように紙ふぶきが舞うというからくり。

神皇車
広井村新屋敷という所が所有していた山車だったが、笹島(現在の名古屋駅)を造るにあたり、全住民が移転しなければならなくなり、その山車を西筒井町が明治20年(1887年)に譲り受けたもの。
山車は文政元年(1818年) or 文政7年(1824年)に建造された後、昭和28年に改造されている。
中央の巫女が、鬼面、そして龍神へと変化するからくり。
からくり人形の披露の後、それぞれの屋根部分が下に下がって、山車を担ぎ回す。

担ぎ手がよいしょ!っと担ぎ手側の車輪を浮かせる。

反対側の車輪を回すべく、棒を差し込む。

見せ場の曳き回し。


曳き回された後の路面。
2輌の山車は、それぞれの町内へと。
神皇車は、徳川家の菩提寺である建中寺の山門横に祀ってある小さな鳥居へ。画像では暗いが、右側の総門は、慶安5年(1652年)草創当時のもの。


最後、関係者全員で神社に拝礼して終了。
ふと見ると、東海テレビの「ぴーかんテレビ」というローカル番組でメイン司会をされている福島智之アナウンサーがこの山車を担いでおられた。
昨年10月の「なごや祭」では、名古屋開府400年を記念して、東区から5輌、中区から1輌、中村区から3輌が参加する合計9輌を見ることが出来たが、今回はそれほど大勢の見物人ではなかったので、より間近に見られて楽しめた。また、昼間と異なり、提灯火入れがされているので、また違った山車の雰囲気を味わえた。
そのなごや祭の時の様子は こちら
この日(金曜)は宵祭り。そして土曜、日曜と続く。日曜には徳川園で、出来町の3輌も加わった東区の5輌が参加する徳川園山車揃えがあるとのこと。
天王祭とは:
もともと牛頭天王を祭ることにより、疫病を鎮めようとする天王信仰の祭礼であり、疫病流行のきざしや農作物に被害が出やすい初夏に、これらを払いのけることを祈願する祭り。
名古屋市東区の筒井町天王祭には、神皇車、湯取車が、出来町天王祭には、西之切の鹿子神車、中之切の河水車、東之切の王羲之車が町内を曳行され、初夏の風物詩となっている。
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