ETC週末割引の駆け込み利用がニュースになっていたが、御多分に漏れず、最後の週末に富山に魚介類を食べに行くことにした。行きは渋滞がなく名古屋市内から3時間で到着。
富山には以前、チューリップを観てホタルイカを食べに来たことがあるが、ゆっくり巡ったことがなかった。

砺波市 散居村

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イメージ 10砺波は散居村で有名。

500年ほど前に、カイニョと呼ばれる屋敷林に囲まれた家々が形成された。
水量の多い庄川の治水事業として、加賀藩が用水路網が作られて開拓が進み、農家が点在するようになったのだそう。




平野に散在して住むにあたって暴風雨雪林として家の周りに屋敷林(カイニョ)を作った。高木はスギ・ヒノキ・けやき・樫・松など、花木は梅・椿・つつじ・こぶしなど、西北の隅には竹林、前庭には柿・栗・桃・ざくろなど、高低木の下草にはオオバコ・ドクダミなどを植えている。
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お墓もこんもり盛り土された上に固まって建っていた。








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となみ散居村ミュージアム

伝統的家屋のアズマダチや、民具館などが無料で見学できる。







アズマダチとは、富山県西部に多い屋根の造りで、霧妻の妻面を前に向けていて、東向きが多いことから 「東建ち=アズマダチ」 と呼ばれているのだろうとのこと。
江戸時代に金沢の武家屋敷に見られた 「石置き屋根」 の切妻型妻入造りが原型だが、明治以降加賀・能登・氷見・砺波・射水地方に広まり、最盛期は大正末期から昭和初期にかけて。
現在、砺波市内でのアズマダチの家は約690戸。

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庭に生えていた花木達
グミ                                  柿
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ネズミモチ                                   
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南砺市 井波別院 瑞泉寺


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明徳元年(1390年)に開かれたが16世紀には焼き払われ、現在の場所に再建された。


この山門は天明5年(1785年)、
京都の宮大工、そして井波の大工によって造られた。
明治12年(1879年)の大火は免れている。



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 本堂
明治18年(1885年)に再建。
単層入母屋造りは、北陸随一の大伽藍。



イメージ 7木彫りの町なだけに、瑞泉寺にいたる参道にあるバス停も、交通標識も木で出来ており、ところどころ布袋さんなどの木彫がかけてある。

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富山市内


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富山市内でお寿司のランチを。
その様子は 寿司栄 で。







廣貫堂

イメージ 11富山と言えば薬売りということで、製薬会社の資料館へ。
昔は各家に薬を届けては薬を一旦預け、後日使った薬の分だけ集金するという方式だったのだそう。
一角の角やジャコウジカの香嚢(ジャコウ腺)なども展示されており、薬はもともと漢方だったことが良くわかる。
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イメージ 13は、文盲の人も多かった為、「七転び八起き」のダルマの絵は
寝込んでも起きられる風邪薬として、ダルマの絵が薬袋に描かれていたのだそう。

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資料館で配ってもらった
ビタミンドリンク。










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ホテルにチェックイン後、ライトレールに乗って、港近くの岩瀬へ。

夕食には、明治44年創業の磯料理のお店の「松月」でしろ海老尽くしを。
その様子は追って。




夜の富山港はとても静かだった。

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