富山旅行の2日目。
富山と言えばます寿司ということで、朝食代わりに 扇一 でます寿司を購入。(その様子は こちら
前日、晩御飯を食べに行った松月(その様子は こちら)のある 岩瀬 へ再び行くことに。

展望台から港側を。
お天気が良ければ立山連邦が見えるそうなのだが、富山も3日前に梅雨入りし、あいにくの曇天で望めず。
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小さく見える何隻もの小型船は、鯵を釣りに来た釣客用の観光船で、時間になると放送が入って釣りを終了していた。







イメージ 18ロシアからの船が到着していた。
日本海側や北海道の漁港はそうなのかも知れないが、付近の道案内のみならず、高岡の観光地の案内版でも、英語や韓国語、中国語のほかにロシア語が書かれていたのには驚いた。
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江戸初期から日本海を行き来する北前航路(国ほっこくと松)が生まれ、江戸期から明治期にかけて日本海沿岸地域に廻船問屋が増え、岩瀬地区では江戸前期の寛文年間(約320年前)に港町が形成された。
加賀藩領だった岩瀬では、北前船で米や木材などを大坂や江戸に運んでいた。明治6年に大火があり約1000戸あったうち650戸が焼失したが、廻船問屋をはじめとした財力で岩瀬独自の家屋様式の東岩瀬廻船問屋型や、防火土蔵造り型伝統的町家型 と言われる家屋が再建された。家屋の多くは、旧北国街道に面した岩瀬大町と新川町通りを表構えにし、神通川を背にして荷卸しが出来るようになっていた。
今現在は、北前航路が最盛期だった明治初期に建てられた廻船問屋が立ち並ぶ歴史のある地区となっている。

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竹で作ったすだれが使われる
全国で数少ないスムシコと
呼ばれる出格子







国指定の重要文化財となっている北前船廻船問屋の森家へ。典型的な東岩瀬廻船問屋型家屋。
代々四十物屋仙右衛門と称し、明治以降は森姓を名乗った。
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明治11年(1878年)に3年かけて建築された。
当時は、間口の広さで税金をかけたので、家屋正面の幅は狭く、奥に長い造りとなっている。
棟梁は京都の東本願寺を普請した親方を呼び寄せ、途中からは富山の職人達がその技法を受け継ぎ造った。




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25分の1(だったかな?)のミニチュアの北前船である千石船。その名の通り千石の荷を積んで、運搬のみならず行く先々で売り買いを行う商業船。
地元では北前船のことをバイ船と呼んだ。「倍倍」に儲かることから、船の往復でもうかる「のこぎり商売」とも言われ、財をなしたのだそう。
当時は、船の長さで税金が課せられた為、船首から船尾までが短い造りとなっている為に安定性が悪く沈むことも多かったとか。

入り口を入ったすぐのミセノマは、高い吹き抜けの梁となっている。(能登産のクロマツの梁だったかな)




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ミセノマの囲炉裏まわりも着座のルールがある。
右が客人、奥が家主、そして一番土間側の寒い席がお嫁さんとなっていた。
畳のひきかたをとってしても、デザインが凝っている。




イメージ 24マエザシキ前の土間側の扉が正式な門となっている。
雪が多く重たい瓦屋根を乗せている建物だが、ガラス張りの戸の角に太い柱を使うと前庭の景観を損なうとして柱は使っていない。
このガラスはギアマン。縁側の板も互い違いの組み方となっているが、逆から見ると「入」の字になっていて、お客さんやお金が入って来るようにと言うことから。

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マエザシキの天井は木目が角度によっては龍のように見える。

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チャシツにある金庫。
船が沈んでもこれだけは浮くように作られていたのだそう。

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女中部屋に
上がる箱階段。

当時の女中さん達は、花嫁修業を兼ねて結婚までの間、ここで働くことが多かったのだとか。






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反対側の二階は表通りに面した番頭部屋。
格子の横には、外からでは見えない
透かし彫りがされるなど、凝っている。

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トオリニワと言われる土間廊下の中央部分には、
小豆島からわざわざ船で運ばれてきた一枚岩が使われている。





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ここに嫁いで来たお嫁さんが乗って来たかご。
ここは商人の家だが、当時としては億万長者
だったので、武家から嫁いで来たのだそう。

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蔵も2つあったが、扉にも凝った文様が施されている。

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奥の庭に配置された飛び石も、ひとつひとつが
異なり、有名産地から運び込まれた物。

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蔵の窓の扉のみならず、その側壁にも、模様がついている。
左官工が作ったもので、右側は少し未だ色が残っていた。


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森家が他にも所有していた土蔵群は、現在、桝田酒造店の販売店舗(明治26年創業の本店舗は通りを挟んだ道沿いにある)、フレンチレストラン、ガラス工房などが使っている。







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桝田酒造店の。伝統的町家型の造り。
ここの「満寿泉」古酒は、白海老を食べた「松川」で
飲ませてもらったが美味しかった。






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防火土蔵造り型






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馬場家も、日本海側有数の廻船問屋。質の高い東岩瀬廻船問屋型の造りだが、あえて豪華に見せない造りとなっているのだそう。公開はしておらず、現在も馬場さんの表札が上がっていた。




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馬場家当主のお寺は、塀は大正期に
導入されたコンクリートとなのだが
板目張りにデザインされている。




この後、期間限定で売っている 飛だんご なるものを食べに 七福亭、そして地元銘菓の 三角どら焼き 大塚屋製菓店 で。 その様子は こちらこちら