東海道の宿場で,、三重は亀山市にある関宿は、その昔ながらの形を残しているとのことなので、そこの夏祭りを観に行くことにした。

亀山宿


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まず関宿に到着する前に東海道では名古屋よりにある亀山宿へ行ってみた。
そこには一里塚が。


一里塚 とは、大きな道路の側に1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)。
元々は中国起源のもので、塚の側に槐の木を植えたり標識を立てたりしていた。
日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。
一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年(1604年)に、江戸幕府が日本橋を起点として全国の街道に一里塚を設置するよう指令を出した。(wikipediaより抜粋)

三重県の旧東海道には、桑名宿から坂の下宿までの間に12か所あったが、今はこの野村一里塚のひとつのみ。



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亀山宿は、歩道と車道の色分けをしてしまっているので、あまり宿場の昔の雰囲気とはいかなかった。

坂本棚田

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日本の棚田百選に選ばれている。





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約400年前から築かれはじめ、明治初期には最盛期となった。
「はしご田」と呼ばれる石積みの棚田。
千枚とはいかないが、結構広い田んぼがあるのだが、傾斜が緩い為に棚田として見る為の見晴しにはかけるかも。



石水渓

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涼を求めて渓谷に行ってみたが、ここの渓谷は観賞するというよりは、すっかり市民の憩いの場だった。












子供のみならず、大人も楽しんでいた。
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そして、この日の目的地である 関宿 へ。その様子は画像の枚数が多い為、その2 で。