京都市美術館で 「フェルメールからのラブレター展」 を観に行った後(その様子は こちら)、「夏の文化財特別公開」 の2か所などを見学してみることにした。

並河家住宅・並河靖之七宝記念館

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明治・大正に活躍した七宝家の
並河靖之氏の邸宅へ。


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金や銀や真鍮の輪郭線の間に釉薬を置いて文様を描く有線七宝という
技法による。幕末に現在の愛知県で開発され、京都や東京に広がった。作品にもよるが、磨いては釉薬をさして焼成と研磨を繰り返す作業を、9回も行う場合もあるのだそう。
今までイメージしていた七宝焼きとは全然違う非常に繊細な作品や、それが作られる行程などを観ることが出来た。
(壺の画像はHPより)

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建物は明治27年(1894年)竣工。庭は七代目小川治兵衛が34歳の時のもので、近代庭園のはしりとされる。

七宝の研磨を行う際に多量の水が必要だった為、民家に琵琶湖疏水を用いた初めての例となっている。

13もの灯篭があるが、池のそばの灯篭は南禅寺からの灯篭で桃山時代のもの。



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池の上に建物が張り出す珍しい造り。

明治27年の輸入ガラスが使用され、外国からの客人が多かったことから、かもいが180センチと高く作られている。
また、応接室の椅子なども外国人用のサイズとなっている。






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この界隈は、とても良い雰囲気の
町並みとなっていた。







南禅寺 大寧軒(だいねいけん)

明治の茶人で11代の「薮内流」家元であった薮内招智によって造られた池泉回遊式の470坪の庭園。

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明治になり、廃仏毀釈が行われたが、京都では浄土真宗がメジャーで、南禅寺は臨済宗であったことや、徳川家康が建てた為、家康色が強すぎたことから、南禅寺に25あった塔頭(たっちゅう)のうち13が没収されてしまった。ここは大寧院という塔頭で、没収された13のうちのひとつ。
明治天皇になって、京都御所から東京に住まいを変えた為、当時の京都の人口は40万人から22万人にまで減ってしまった。羊羹で有名な「とらや」さんなども京都御所の西に店を構えていたが、明治天皇と共に東京に移転して赤坂でお店をするなど、付随する多くの職業の人達が移動した為。
そこで、当時の京都府知事が、京都再建を願って、琵琶湖疎水をひいて世界二番目の水力発電による市電を運行。この南禅寺界隈は、工業団地にしようと計画されていた。結局、この辺り一体は山形有朋の別荘など、著名な人達の別荘や料亭となって行ったのだそう。
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この庭にも琵琶湖疏水がひかれ、
滝は落差3メートルにもなる。



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「三柱鳥居」は、太秦の「蚕の社」の鳥居を模したものとされ、
普通の鳥居を三基組み合わせた形となっている。

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160万年前のマグマによって出来た玄武岩の庭石は、
兵庫県の城崎の玄武洞の柱状列石を運び込んだもの。
現在では天然記念物で搬出することは出来ないため
非常に珍しい庭石となっている。


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ビナンカズラ(サネカズラ)


南禅寺 金地院

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隣接するこのお寺は、夏の文化財特別公開ではなかったが、秋まで特別公開しているとのことだったので寄ってみた。

応永年間(1400年)大業徳基禅師が足利義持の帰依を得て京都北山に開創し、慶長年間(1600年)に、南禅寺塔頭に移築された。
徳川家康に近侍し、勿論日光の東照宮とは規模も全く異なるが、同じく東照宮となっている。

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鶴亀の庭園。
寛永7年、小堀遠州による庭。

奥の山並みは東山で、
借景として利用している。








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左側の岩が亀、右側の細長い岩は鶴の首を表していおり、
亀の背に見立てた岩から生えている木は樹齢500年以上で、唯一建立時からの木。





特別拝観として、1590年代に長谷川等伯による「猿猴捉月図」や、八窓席の茶室などを見学。
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池に映った月を取ろうとしている猿の襖絵は左2枚のみで、右2枚の「老松」の襖絵とは関連しているように見えるが実は別のものとのこと。
(撮影不可の為、画像はいずれもパンフレットより)


イメージ 8八窓席の茶室

江戸時代の男性の平均身長が151センチだったのに対し、徳川家光は173~176センチあったので、貴人口のかもいも高く165センチとしている。

床の間は隣の水屋の壁よりも20センチ手前に出ているが、それはその奥にカジュアルな茶室がもう一つあり、その床の間を作る為にこちら側の床の間の壁を動かしたのだそう。
貴人が手前の天井が高い床の間側、身分の低い客人が水屋側(窓側)の天井が斜めになっている側なので、入り口のにじり口は端ではなく中央に位置している。

南禅寺 山門

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ついでに、南禅寺の山門に
久しぶりに上がってみる
ことにした。






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はるか彼方、平安神宮の鳥居が見えた。






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残暑が厳しかったこの日の京都は、夕方になっても36度と本当に暑かった・・・
ランチは 菊乃井 で、和菓子は 塩芳軒 などで購入したが、それらの記事は追って。