白川郷はユネスコの世界遺産に登録されて非常に有名だが、厳密には 「白川郷・五箇山の合掌造り集落」 として登録されている。白川郷には、梅雨明け頃と(その様子はこちら)、紅葉たけなわの頃(その様子はこちら)に行ったが、今回は五箇山をメインに行くことにした。
五箇山も白川郷も刈り取り直前の稲穂に囲まれた様子を見ることが出来た。

五箇山 菅沼合掌造り集落

五箇山には、菅沼 相倉(あいのくら)という合掌造り集落があり、まず菅沼を訪れた。

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集落の全域が4.4ヘクタール。かつては養蚕や塩硝(えんしょう)の産地であり、製紙業も盛んだった。
五箇山民族館塩硝の館 をそれぞれ見学したが(内部撮影不可)、加賀藩の支配下にあった江戸時代には、火薬の原料となる塩硝を作って年貢の代わりとしていた。
塩硝は、自然の草(ヨモギ、しし独活、麻殻、稗殻…など)と、蚕の糞や人の尿などで製造する「培養法」を使って2~3年かけて床下で作っていたのだそう。
建物入り口では馬などを飼い、1階では紙漉き、上階では蚕、地下には培養している塩硝となると、相当な匂いがしただろうなと。

雪持林は雪崩から集落を守る為に伐採が禁じられている。現在、9戸の合掌造りがあり、景観を保持する為に上からでは緑の絨毯に見える半地下が集落の駐車場や機械類を収納する場所になっていたり、電線や下水道などが全て地下に埋設されているなど、工夫がされている。

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良く実っていて、稲の穂がその重みで倒れているぐらいだった。

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蕎麦の花がちょうど満開だった。

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チョウも蕎麦の花を忙しそうに巡っていた。

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トンボはガマの穂の上でのんびり。

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岩瀬家
西赤尾にある岩瀬家は、五箇山・白川地方で最大の合掌造り家屋とのことだったので、見学した。
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ご当主の方みずから囲炉裏で薬草茶を入れて、お話を聞かせて下さる。
昔は白川郷も含めて全部で2000軒ほどの合掌造りの家々が立ち並んでいたが、現在は200軒程度になってしまったのだそう。
塩硝の上煮役(取りまとめて加賀藩に納入する)を務める家柄で、当時の加賀藩の役人が宿泊所としても使用した。養蚕・塩硝・和紙作りなどを行い、35名もの家族や使用人が住んでいた。
この合掌造りは築300年で8年かかって建てられたが、このご当主さんが現在18代目とのこと。
茅葺は25~30年ごとに葺き替えられる。
屋根は雪が落ちるような傾斜になっているが、昨年の冬は例年になく大雪で4メートルも積もった為、屋根からの雪下ろしを2回しなければならなかったのだそう。

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民族舞踊のこきりこに使われる楽器なども使わせてもらえる。

普通は3~4階建ての合掌造りだが、ここは5階建て。
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上層階の床はすのこ張となっていて、3階以上は養蚕などを行っていたので、階下からの焚火の暖気が最上階にまで通るように設計されている。
建物には、釘などは一切使われておらず、まんさくなどの植物や縄で組まれている。

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半分は総欅(けやき)造りで、座敷部分は奥式台のある書院造。左のお座敷は殿様部屋と言われ武者隠しの間もある。欄間などもとても綺麗だった。

行徳寺

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すぐ隣にあるお寺。あいにく本堂は現在改装工事中だったが、入り口の山門だけでも立派な茅葺となっていた。

この後、合掌造りの建物が23もある、相倉合掌造り集落 へ。その様子は その2 で。