カサブランカ到着後、メクネス経由で8世紀からのたたずまいを残す古都フェズ到着。
(メクネスの様子などはで)

まずは新市街で夕食を。
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新市街ではアルコールを売っているお店もあるそうだが、やはりモロッコはその国民の99%がイスラム教徒というお国柄だけあって、レストランにはビールなどがなかった為、フレッシュミックスジュースや絞りたてのリンゴジュースを。


突出しとして、レンティルのスープ仕立て、マリネしたニンジン、キュウリのサラダとパン。



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モロカンサラダ(左)は、ラタトゥイユ風だったり、タマネギとトマトとパセリのサラダや、焼きナスのマリネだったりで美味しかったが、サラダニソワーズ(右)は、キャベツにリンゴやレーズンが入っていて、いかんせん量が多かった。
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ラムとドライプルーンのタジン。
上にアーモンドが乗る。
ラムは美味しいが、ドライプルーンがもっと
柔らかい方が美味しいような。。。






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鳩肉の入ったパスティラ。
ナッツなどと共に入った鳩肉をサクサクしたパイで包んで、上に粉砂糖とシナモンがかかったもの。
美味しいが、粉砂糖にはどうしても違和感かな。
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デザートには、旬のメロンと、リンゴやオレンジやバナナのフルーツポンチ。
メロンには、フォークなどはなく、オレンジの柄のナイフがついてきたのでビックリしたが、この時以降、他のレストランではメロンも手づかみでかぶりつくことになるので、ナイフが出て来たのはずっと良かったことを後で知ることになる。

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やはり最後はミントティー。ミントがたっぷり入っていた。

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夕食を済ませ、旧市街メディナにあるリヤドに。リヤドとは、旧市街にある伝統的なモロッコ様式の建物を改築して宿泊施設にしたもののこと。
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シャワーブースのみならず床などがタイルによるモザイク張りになっていて、その上に絨毯が敷かれている。



夜に到着した為、玄関を入った所の素晴らしい装飾の建物だったのだが、その様子は自然光の入った朝、じっくり見ることに。





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屋上のテラスに上がってみた。






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夜ではあるが、旧市街の景色をうかがい知ることが出来た。






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モスクに併設されているミナレットの搭があちこちに。








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フェズの旧市街が迷宮と言われるだけあって、
建物と建物の間の細い道が入り組んでいる。
上から通路を見下ろしたところ。



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この日のお月様はもう少しで新月になるところだったが、
欠けた部分もぼんやりと月のクレーターなどがうっすらと
見えていた。





この日に教えてもらったことの受け売りの備忘録:

車は、フランス車、ドイツ車が多く、日本車も。車は決して安くはないが、昨今は銀行のローンで一般人も買っている。
高速道路は有料だが、混雑はあまりしておらず、空港に入るだけの料金で5DLH(ディルハム)=約50円。
ガソリンは1リットル当り7~10ディルハム=70~100円。

大別すると、国民はアラブ人とベルベル人に分かれるが、紀元前から住んでいるのがベルベル人。現在のドイツの辺りから渡って来たベルベル人はモロッコの北部に、アジア系ベルベル人は南部に居住し、8世紀にイスラム教に改宗したので、彼らのベルベル語のみならずアラビア語も出来るが、後からやって来て平地に住むアラビア人はベルベル語は聞いてわかる程度で話せない人が多い。
アラビア人とベルベル人との婚姻も問題はない。
大まかに言うと、南部ベルベル人は小柄で鼻が高く、北部アラビア人は大柄でごつい体系。

アラビア語は、同じアラブ圏では読み書き等は全く同一。エジプトやサウジアラビアなどの人達とも問題なく会話できるが、モロッコ人は他のアラビア人の言葉はわかっても、他のアラビア人にとってはモロッコのアラビア語は方言が強いのでわかりにくいのだそう。

石油は採れないので、農業とリン鉱石採取が主な産業。
夏は人参やトウモロコシ、冬は小麦や大麦などを収穫する一毛作。ナツメヤシ(ディーツ)も。
お米も食べるがインドなどアジアからの輸入品、綿もエジプトから、お茶は中国からの輸入。

発電は、数多くあるダムによる水力発電が主で、大西洋側のエッサウィラ界隈では風力発電、砂漠側のワルザザード界隈にはソーラー発電もあり、それはアフリカで最大の規模。
電気代は一般家庭で、月々だいたい200ディルハム(=約2000円)。
一般公務員の月給が約4000ディルハム(=約4万円)なのに対し、電気代は高めかと思われるが、停電は本当にまれにしかないとのこと。

小学校2年生からフランス語を、そして高校でスペイン語、英語、ドイツ語を選択して学ぶ。
学校は朝8~12時、午後は2~6時で、お昼ご飯を家に食べに帰る。
公立であれば、大学まで授業料は無料。男女は共学。

土日が休日で、礼拝のある金曜は通常通り会社も学校もあるが、金曜は礼拝の時間がある。

外国人観光客はその近さもあり、スペイン人やフランス人が多い。
毎年3~5月と、9月これからがハイシーズンとなるが、今年はヨーロッパの不況や、日本人観光客は震災の影響もあって、観光客数は少ないとのこと。
(ドライブしていると、スペインやフランスのナンバープレートの車が多く、まれにイギリスやオランダの車も見かけた。)

「預言者の街」という意味の「メディナ」=旧市街には、酒屋さんは存在しない。新市街にライセンスを取得した酒屋さんやレストランがあり、外国人にのみ売って良いことになっているが、実際にはモロッコ人も飲んでいる。
新市街はプチパリ Putit Paris と言われ、フランスの植民地時代には、フランス人しか入ることが出来ず、モロッコ人は入れなかった。
実際、メクネスは良い水とブドウの産地で、ワインが有名。