フェズを観光していたが、どこを見ても興味深い為、画像が多くなったので、ここでは訪れた建物と昼食を。
(最初の観光は ⑤ を)
ブー・ジュルード門

メディナ(=旧市街)の入り口にあるフェズ最大の門。
1913年に造られた。
門を通して奥に2つのミナレットが見える。

ブー・イナニア・マドラサ
14世紀にブー・イナニア王によって造られた最大の神学校。
他にも神学校があり、当時フェズには全体で1500名もの神学生がいた。
屋根は王宮やモスクと同様、イスラム色の緑色をしている。


女性などはあらかじめ家で身を浄めて来るが、出来なかった場合、あちこちに置いてある丸い石が水の代わりのお浄めに使われるのだそう。

1階奥のメッカの方向に向いたアーチ型に掘られた部分に先生が入り、後ろに生徒が位置するが、マイクのない当時、そのアーチ型に掘られた部分によって先生の声が反響して後ろの生徒に聞こえるようになっている。

1階部分がお祈りの場所、
2階部分が神学生の寮となっていた。
現在2階は使われていない。
1階部分の両脇の部屋が女性用の部屋となっていて、金曜の礼拝時には、入り口に布が張られて中の女性が見えないようになる。



ハマムの入り口
モロッコ式のスチームバス。
「ハマム」と看板があがっているわけではなく、
細いフェズの迷路を歩いていると、ふとこのような
入り口があってみたりする。
男性専用ハマムや女性専用ハマムもあるが、
ここのハマムは、朝は男性、昼は女性、夕方から
夜は男性と時間帯によって分けてあった。


モロッコ様式の玄関扉。
大きな扉の中に小さな扉があり、大人だと
身をかがめるなどしなければ入れないほどの
小さな扉となっている。
外敵の侵入を想定したものかと思いきや、
来客者が男性の場合、中にいる女性を見ては
いけないので、下を向いて入る為。
男性は声を出しながら入ることで、中の女性に
男性が入る事を知らせ、女性は身を隠すのだそう。
古くからの宗教や習慣では、日本でもそうだが、男性はOKでも女性はダメということが多いが、どうもここまで女性の扱いが違うと、やや違和感を感じざるを得なかった。。。

カラウィン・モスク
9世紀にチュニジアから移住した裕福な商人の娘であるファーティマによって建てられたモスク。
その後、イスラム神学のみならず、自然科学、医学、数学、化学、天文学、歴史、地理、言語などを教える大学ともなった。

入り口

トルコやマレーシアなどでは、お祈りの時間帯以外であれば、モスクの内部に異教徒の我々でも、男性だけ、あるいは男女ともに入れてもらえたが、モロッコではカサブランカにあるモスク1か所以外は異教徒は入れてもらえない。
上の2枚の画像は、入り口手前から私が撮らせてもらったが、この右の画像は、モロッコ人のガイドさんが中に入って私のカメラで撮って来てあげると言ってくれたので託したもの。
どのミナレットでもそうだが、その上には長い棒があり、メッカの方向を指し示している。

モスクに向かう通路の片側には、木の上に鋲が打たれている。
何かと思えば、盲目の人がこの鋲を触ってたどって行くとモスクにたどり着けるようになっているのだそう。

キャラバン隊の昔の宿
昔、交易に向かったキャラバン隊が、フェズで
宿として使った建物。
現在はカーペット屋さんなどになっているが、
当時は、1階部分に馬やラクダなどを寝かせ
上階で人がやすんだのだそう。

ザウィア・ムーレイ・イドリス廟
9世紀初めにフェズにメディナ(旧市街)を建造したムーレイ・イドリス2世の墓があり、信仰されている。
我々は勿論入れないが、廟の裏側に面した通りには、下の画像のようなお賽銭入れがあり、手を当てて祈ると願い事がかなうとか。

アッラーを唯一神として信仰しているイスラム教徒では、偶像崇拝はもとより、他のものを信仰してはいけないので、ここの廟のようにお墓を崇拝することはおかしいと、まじめなガイドさんの弁。
そして、ここでは、イスラム教徒であれば、女性でも、画像のようなGパンに半袖でも入ることが出来ていたが、ガイドさんにとってはあり得ないと不満げだった。。。
フェズの街をうろうろと歩きながらの観光を一旦中断して、ランチを取ることに。
前菜として、色々なものが出て来た。







ここまでが前菜とは思えないぐらいの量だが、モロッコでは残さず食べると足らなかったと言う意味になり、出した側に失礼にあたるという中国や韓国と同様の方式なので、心置きなく残させてもらった。


未だ赤くはなかったが、それでも十分に甘く
美味しいザクロだった。


本来ならモロッコの人は前菜として食べるお米の入った春巻き風のもの。実際には粉砂糖とシナモンで甘い味付けになっているので、我々にはデザート扱いとして最後に出してもらった。
午後もフェズの迷宮をうろうろ散策。数多くの職人が居る風景は追って ⑦ で。
(最初の観光は ⑤ を)
ブー・ジュルード門

メディナ(=旧市街)の入り口にあるフェズ最大の門。
1913年に造られた。
門を通して奥に2つのミナレットが見える。

ブー・イナニア・マドラサ
14世紀にブー・イナニア王によって造られた最大の神学校。
他にも神学校があり、当時フェズには全体で1500名もの神学生がいた。
屋根は王宮やモスクと同様、イスラム色の緑色をしている。

中庭の水で礼拝の前に身体を浄める。

女性などはあらかじめ家で身を浄めて来るが、出来なかった場合、あちこちに置いてある丸い石が水の代わりのお浄めに使われるのだそう。

1階奥のメッカの方向に向いたアーチ型に掘られた部分に先生が入り、後ろに生徒が位置するが、マイクのない当時、そのアーチ型に掘られた部分によって先生の声が反響して後ろの生徒に聞こえるようになっている。

1階部分がお祈りの場所、
2階部分が神学生の寮となっていた。
現在2階は使われていない。
1階部分の両脇の部屋が女性用の部屋となっていて、金曜の礼拝時には、入り口に布が張られて中の女性が見えないようになる。

女性用の礼拝の部屋とその天井
天井の細かい彫刻は杉の木に施されている。

教えてもらったイスラム教のことの備忘録:
昔は、6歳から子供用の神学校があり、コーラン、数学、預言のことなどを教えていた。追って、天文学や物理学なども学び、4~5年勉強すると、優秀な神学生は学校の先生や医者などになった。
イスラムでは「5」という数字が大切で、五業がある。
告白、祈り(メッカに向かって一日5回)、ラマダン(断食月)、喜捨(1年に1度でバクシーシとは別)、メッカ巡礼、の5つ。
喜捨は、自分が施したいと思う人にするので、親戚でも、友人でも、あるいは困っている人にでも構わない。
一日5回の祈りは、一回が30分程度。
日の出前、太陽が天上に来た時、影が背の高さと同じになった時、日没、暗くなってから、の5回で、金曜日の礼拝では、2番目の礼拝を長くして行う。
一般の子供の場合、7歳から親に色々と教えてもらい、10歳から一緒にモスクでお祈りを始める。が、最近はその方式がずいぶん緩くなってきているとのこと。
仕事などで5回きっちりお祈りできなくても、仕事はお祈りと同じ意味を持つと考え問題ない。
あるいは、仕事の合間に時間を作って、2番目と3番目のお祈りを1度にするなどしても良い。
身の浄め方
右手で水を汲んで3回手を洗い、口を3回すすぎ、鼻の中も3回洗って左手で鼻をかみ、顔を3回洗う。
右腕3回、左腕3回、髪は1回、耳は1回、くるぶしも洗う。

ハマムの入り口
モロッコ式のスチームバス。
「ハマム」と看板があがっているわけではなく、
細いフェズの迷路を歩いていると、ふとこのような
入り口があってみたりする。
男性専用ハマムや女性専用ハマムもあるが、
ここのハマムは、朝は男性、昼は女性、夕方から
夜は男性と時間帯によって分けてあった。

窓には細かい目の格子が入っている。
女性が外から見られないようにと配慮されたもので、
建物の中の女性は外を見ることが出来る。
女性が外から見られないようにと配慮されたもので、
建物の中の女性は外を見ることが出来る。

モロッコ様式の玄関扉。
大きな扉の中に小さな扉があり、大人だと
身をかがめるなどしなければ入れないほどの
小さな扉となっている。
外敵の侵入を想定したものかと思いきや、
来客者が男性の場合、中にいる女性を見ては
いけないので、下を向いて入る為。
男性は声を出しながら入ることで、中の女性に
男性が入る事を知らせ、女性は身を隠すのだそう。
古くからの宗教や習慣では、日本でもそうだが、男性はOKでも女性はダメということが多いが、どうもここまで女性の扱いが違うと、やや違和感を感じざるを得なかった。。。

カラウィン・モスク
9世紀にチュニジアから移住した裕福な商人の娘であるファーティマによって建てられたモスク。
その後、イスラム神学のみならず、自然科学、医学、数学、化学、天文学、歴史、地理、言語などを教える大学ともなった。
お祈り前で丁度身体を
浄めている男性陣
浄めている男性陣

入り口

トルコやマレーシアなどでは、お祈りの時間帯以外であれば、モスクの内部に異教徒の我々でも、男性だけ、あるいは男女ともに入れてもらえたが、モロッコではカサブランカにあるモスク1か所以外は異教徒は入れてもらえない。
上の2枚の画像は、入り口手前から私が撮らせてもらったが、この右の画像は、モロッコ人のガイドさんが中に入って私のカメラで撮って来てあげると言ってくれたので託したもの。
どのミナレットでもそうだが、その上には長い棒があり、メッカの方向を指し示している。
956年の改装時に四角形の搭のミナレットが
つけられたが、その形が北アフリカ各国の
モスクのミナレットの原型となった。
つけられたが、その形が北アフリカ各国の
モスクのミナレットの原型となった。

モスクに向かう通路の片側には、木の上に鋲が打たれている。
何かと思えば、盲目の人がこの鋲を触ってたどって行くとモスクにたどり着けるようになっているのだそう。

キャラバン隊の昔の宿
昔、交易に向かったキャラバン隊が、フェズで
宿として使った建物。
現在はカーペット屋さんなどになっているが、
当時は、1階部分に馬やラクダなどを寝かせ
上階で人がやすんだのだそう。

ザウィア・ムーレイ・イドリス廟
9世紀初めにフェズにメディナ(旧市街)を建造したムーレイ・イドリス2世の墓があり、信仰されている。
我々は勿論入れないが、廟の裏側に面した通りには、下の画像のようなお賽銭入れがあり、手を当てて祈ると願い事がかなうとか。

アッラーを唯一神として信仰しているイスラム教徒では、偶像崇拝はもとより、他のものを信仰してはいけないので、ここの廟のようにお墓を崇拝することはおかしいと、まじめなガイドさんの弁。
そして、ここでは、イスラム教徒であれば、女性でも、画像のようなGパンに半袖でも入ることが出来ていたが、ガイドさんにとってはあり得ないと不満げだった。。。
フェズの街をうろうろと歩きながらの観光を一旦中断して、ランチを取ることに。
前菜として、色々なものが出て来た。


<左>お豆のスープ仕立て <右>焼きパプリカをあえたもので焼きナスっぽい味。


<左>サイドメニューとしてお米が <右>じゃがいも




<左>お豆のスープ <右>(多分)茄子だったかと


<左>ビーツ <右>人参をハーブで和えたもの



キャベツのサラダ
ケシのついたパン
ここまでが前菜とは思えないぐらいの量だが、モロッコでは残さず食べると足らなかったと言う意味になり、出した側に失礼にあたるという中国や韓国と同様の方式なので、心置きなく残させてもらった。


<左>牛ひき肉のタジン <右>ラム肉のクスクス

ザクロのシーズンは始まったばかりとのことで
メロンにザクロ
未だ赤くはなかったが、それでも十分に甘く
美味しいザクロだった。


本来ならモロッコの人は前菜として食べるお米の入った春巻き風のもの。実際には粉砂糖とシナモンで甘い味付けになっているので、我々にはデザート扱いとして最後に出してもらった。
午後もフェズの迷宮をうろうろ散策。数多くの職人が居る風景は追って ⑦ で。
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