スーク巡りや、スーク内のお店でシシカバブなどのランチを食べた後、再び観光を。(スークの様子はこちら

アル・マンスール・モスク

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1180~90年頃に建立。
立派なミナレット(搭)は、13~14世紀の建築家達のお手本になったのだそう。






サアード朝の墳墓群

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サアード朝(1549~1659年)の代々のスルタンが葬られている非常に規模の大きなお墓群。結構広いのだが、後世のアラウイー朝の時代に外の道路とお墓を壁で囲んで入り口を封鎖してしまった為、1917年に空から発見されるまで、その存在がわからなかったとか。



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細かいモザイクなど、装飾が非常に美しい。









外の雨ざらしのお墓ですら、非常に綺麗。
高官などおつきの人達のお墓。





アグノウ門

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赤と緑の砂岩で造られている非常に綺麗な門。スルタンが宮殿に行く為に通った門でもあり、死刑となった罪人の首をさらす場所でもあったのだとか。

エル・バディ宮殿

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15世紀、ベルベル人の王朝であるサアード朝の宮殿だったが、後のアラウイー朝の王によって破壊された遺跡。往事には、中庭の周りに360もの部屋があったのだそう。

左は、ゲストハウスの遺構。
外国の大使などを迎える部屋だったと考えられている。


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イメージ 4地下牢。細かく仕切られた部屋が数多くあった。


突き当りは現在の王宮(一切非公開)。
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イメージ 6一角には、マラケシュのシンボルであるクトゥビアモスクのミンバーという物が別料金で公開されていた。(写真撮影は不可なので画像はHPより)
毎週金曜の礼拝の時にだけ使われていた説教壇。
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1125~30年に、木材と象牙で造られたもの。本来、手前にロープが渡してあり、そこからしか見ることが出来ないが、我々が解説などを時間をかけて見ていた為か、係のおじさんが、そのロープをはずして中に入って良いよと見せてくれた。そのお蔭で、すぐそばまで近よってその精緻な素晴らしい彫刻や象嵌や透かし彫りを見ることが出来た。

フナ広場

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ジャマ・エル・フナ広場では、前夜も屋台でエスカルゴやシーフードのフライなどを食べたが、この日は広場のカフェのテラスから、広場を眺めてみることにした。
広場では、屋台、大道芸人、手相見、ヘナ描き、色々な人達が交差する中、バイクや、ともすると車や馬車も通っていく。動画から聞こえてくる音楽は、ヘビ使いの人が客引きの為に奏でていた音楽。

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屋台は夕方5時から始まるので、それまでの時間に広場を通ると
各屋台の区割りを示す線が引かれているのが良くわかる。
水道やガスも地下から取ることが出来るようになっている。
一か所の使用料は60万ディルハム(約600万円)かかると
いうのでその金額の高さにもビックリ。




テラスから、しばし広場の色々な商売人達をウオッチング。

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ヘビ使いのおじさん達
手前の黒い物は、かま首を持ち上げたコブラ

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手袋までしていて、かすかに目の部分だけが
透けたベールをかぶった物売りの女性。
売っている物は食べ物と飲み物のようだが
詳細は不明・・・


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ヘナを描いているおばさん達。
このお客さんは、足首に描いてもらっていた。



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帽子の先に紐がついていて、頭を動かしてその紐を
クルクルと回しつつ、小さな楽器を奏でてチップを
もらっていた人。



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猿使い
お客さんの肩や頭の上に猿を乗せさせてあげて
チップをもらっている。

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名物の水売りのおじさん。






寸劇のようなことをやっていて、大勢の観客が集まっていた。
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夕闇が迫り、徐々に屋台などにも灯りがつく広場もまた綺麗だった。
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色々な恰好の人達が通っていくフナ広場はいくら見ていても見飽きない。画像の枚数の関係から、人間ウオッチングの画像や、この日の夕食(待望の羊の脳味噌など)の様子は で。