中国は、カシュガル・ウルムチ・トルファン・敦煌などを含むシルクロード、ポタラ宮殿のあるチベット自治区、成都、西安、上海、広州や杭州、蘇州、石林や元陽の棚田のある雲南、天津などにかつて行ったことがあるのだが、北京は高齢になってからでもゆったりと行ける観光都市と思って行っていなかった。
今回、GWの後半の4日間という短い日程で何処かに行こうと言うことになり、夏は非常に暑く、冬はとても寒い北京がこの時期には丁度良いのではないかと思い、行ってみることに。ところがどうしてどうして、連日32度の初夏を思わせるお天気と、広大な観光地を歩きまわることで、高齢になってからで十分と思っていた北京に、我々が甘かったことを認識させられた。

北京は非常に大きな街だが、
ビル群があるあたりが中心部。
一番高いビルで地上74階建ての国際貿易センターで、昨年10月に出来たもの。

行く5日ほど前には北京に黄砂が来たものの、我々が行った時は大丈夫とのことだったが、黄砂なのか、世界でも3大渋滞都市と言われる北京だけあって大気汚染なのか、くっきりと空気の層が出来ている。


機内食ではお魚を選択したところ鰻で、デザートには
薯蕷饅頭。
セントレア9:20発 CA160便 北京11:55着
(時差マイナス1時間)
到着後、観光を。
北京最大の皇室の庭園だった所で、ユネスコの世界遺産。
広さは290ヘクタールで、天安門広場の4倍、皇居の3倍。
夏の離宮として使われた。
1750年に清の乾隆帝が母親の長寿を祝って造営した庭園で、気に入っていた杭州の西湖を模した昆明湖などを造らせた。

英仏連合軍による破壊後の1888年に西太后が再建、1900年の8か国連合軍にまた破壊されるも1902年に西太后が再建。その浪費の為に国防費が割かれることとなり日清戦争にも負け、清の弱体化を進める結果となったのだそう。
太江石
無錫からわざわざ運ばせたもので
高さ3メートル。
長寿を願う石。
仁寿殿
乾隆帝に1750年に建てられたが連合軍によって焼かれた為に1860年に再建。
1902年以降は西太后と甥の光緒帝が外国公使などと謁見した場所。
前には頭が龍、胴体が蛇、角が鹿、蹄は牛という麒麟の像がある。


宝座とも言われる玉座の後ろの鏡には226種類もの「寿」の文字が刻まれている。

西太后が書いた「寿」のかけじく。
文字の周りにはコウモリの模様がある。
(画像はカメラの設定を間違えて非常に不鮮明・・・)
「コウモリ」と「福」との発音が似ていることから、中国ではコウモリはおめでたい生き物とされている。
西太后は、当時の男性の寿命が40代、女性が50代だったところ、73歳まで生きた。
楽寿堂
西太后が寝泊まりしていた。
彼女の食事は満漢全席で有名だが、全て食べていたわけではなく、見るだけ、つまり目で食べることがほとんどで、果物も香りを楽しむだけだった。
一回の食事には2.8キロものお料理が用意され、1回の費用が一般の人達の20年分に相当。

長廊
長さ728メートルの長い廊下が続く。
約14000枚の絵が描かれているが一枚として同じ絵はないとのこと。
非常に似たのはあったが・・・???


万寿山の上には、八角三層の仏香閣がある。
41メートルの木造で、当時としては一番高い建物だった。
内部には5メートル重さ5トンの菩薩が安置されており、旧暦の10月10日には排雲門の中で祝い事が行われた。
昆明湖
人造で(一部という説も)、その掘られた土を積み上げてこの万寿山が出来ているのだそう。
昆明湖の水深は1~3メートル程度で、水は雨水。7~8月の多雨の時期に主に貯められている。

長さ約150メートルの石の十七孔橋が湖内の島にかかっており、この橋は中国庭園における橋で最大のもの。
大勢の人が足こぎボートなどで楽しんでいた。




外には、茹でトウモロコシと焼き芋屋さんが。
冬には、焼き芋などが持つ手も温められて人気があるのだそう。
この後は、胡同(フートン)などを見学し、夕食などを。その様子は<2>で。
今回、GWの後半の4日間という短い日程で何処かに行こうと言うことになり、夏は非常に暑く、冬はとても寒い北京がこの時期には丁度良いのではないかと思い、行ってみることに。ところがどうしてどうして、連日32度の初夏を思わせるお天気と、広大な観光地を歩きまわることで、高齢になってからで十分と思っていた北京に、我々が甘かったことを認識させられた。

北京は非常に大きな街だが、
ビル群があるあたりが中心部。
一番高いビルで地上74階建ての国際貿易センターで、昨年10月に出来たもの。

行く5日ほど前には北京に黄砂が来たものの、我々が行った時は大丈夫とのことだったが、黄砂なのか、世界でも3大渋滞都市と言われる北京だけあって大気汚染なのか、くっきりと空気の層が出来ている。


機内食ではお魚を選択したところ鰻で、デザートには
薯蕷饅頭。
セントレア9:20発 CA160便 北京11:55着
(時差マイナス1時間)
頤和園(いわえん)

北京最大の皇室の庭園だった所で、ユネスコの世界遺産。
広さは290ヘクタールで、天安門広場の4倍、皇居の3倍。
夏の離宮として使われた。
1750年に清の乾隆帝が母親の長寿を祝って造営した庭園で、気に入っていた杭州の西湖を模した昆明湖などを造らせた。

英仏連合軍による破壊後の1888年に西太后が再建、1900年の8か国連合軍にまた破壊されるも1902年に西太后が再建。その浪費の為に国防費が割かれることとなり日清戦争にも負け、清の弱体化を進める結果となったのだそう。
太江石
無錫からわざわざ運ばせたもので
高さ3メートル。
長寿を願う石。

乾隆帝に1750年に建てられたが連合軍によって焼かれた為に1860年に再建。
1902年以降は西太后と甥の光緒帝が外国公使などと謁見した場所。
前には頭が龍、胴体が蛇、角が鹿、蹄は牛という麒麟の像がある。


宝座とも言われる玉座の後ろの鏡には226種類もの「寿」の文字が刻まれている。

七宝焼きの産地でもあるので
非常に綺麗な装飾物を
見ることが出来る。
非常に綺麗な装飾物を
見ることが出来る。

文字の周りにはコウモリの模様がある。
(画像はカメラの設定を間違えて非常に不鮮明・・・)
「コウモリ」と「福」との発音が似ていることから、中国ではコウモリはおめでたい生き物とされている。
西太后は、当時の男性の寿命が40代、女性が50代だったところ、73歳まで生きた。

西太后が寝泊まりしていた。
彼女の食事は満漢全席で有名だが、全て食べていたわけではなく、見るだけ、つまり目で食べることがほとんどで、果物も香りを楽しむだけだった。
一回の食事には2.8キロものお料理が用意され、1回の費用が一般の人達の20年分に相当。

長廊

約14000枚の絵が描かれているが一枚として同じ絵はないとのこと。
非常に似たのはあったが・・・???


孫悟空の絵もあった。

排雲門と仏香閣

排雲門と仏香閣

万寿山の上には、八角三層の仏香閣がある。
41メートルの木造で、当時としては一番高い建物だった。
内部には5メートル重さ5トンの菩薩が安置されており、旧暦の10月10日には排雲門の中で祝い事が行われた。
昆明湖
人造で(一部という説も)、その掘られた土を積み上げてこの万寿山が出来ているのだそう。
昆明湖の水深は1~3メートル程度で、水は雨水。7~8月の多雨の時期に主に貯められている。

長さ約150メートルの石の十七孔橋が湖内の島にかかっており、この橋は中国庭園における橋で最大のもの。
大勢の人が足こぎボートなどで楽しんでいた。


耶津楚材祠の近くには、ニセアカシアの花が咲いていた。


外には、茹でトウモロコシと焼き芋屋さんが。
冬には、焼き芋などが持つ手も温められて人気があるのだそう。
この後は、胡同(フートン)などを見学し、夕食などを。その様子は<2>で。
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