北京には、近郊も含め、6つの世界遺産があり、今回の旅行では、北京原人の発見された所を除いた5つを観光した。
前日にそのうちのひとつである 頤和園(いわえん) に行ったので(その様子は<1>で)、この日はまず午前中に 明の十三陵 ヘ。
明代の皇帝の陵墓群で、中国に現存する皇帝陵墓群としては最大規模。明朝には16人の皇帝がいたが、13人の陵墓がある。1409年~1644年に渡り、全体の広さは40キロ平米。
このエリアには、13ある皇帝のお墓の他に、妃のお墓が7つと宦官のお墓がひとつある。全て川の北側に位置しているが、明の最後の皇帝は首をくくって自殺をしたためにお墓造りをしておらず、唯一川の南側に埋葬されている。最大は永楽帝の長陵だが、陵墓への入り口がわかって内部が発掘されたのは定陵のみなので、定陵に行ってみることに。
定陵

この皇帝は10歳で即位し、政治は顧みず、12歳から自分のお墓造りに心血を注ぎ、地下宮殿で宴会をするなどして、その浪費が明の衰退原因のひとつになったと言われており、悪評の高い皇帝でもある。




人間界と地獄世界との境界に立つ門
手前が人間界で奥が死後の世界となる。
地下27メートルにある地下宮殿へ。建築面積は1195平米にもわたる石造の墓室が並ぶ。

地下宮殿の左配殿
もともと皇后の棺を置く予定だったが、工事当日に大雨で皇后の棺が入り口から入れられず、中央の部屋に皇帝と共に埋葬された為、左室はがらんどうとなっている。
土台の所に穴が開いていて、そこにお金を投げ入れることが出来ると幸運になると後世になって噂がたち、土台部分には多くのお金が撒かれていた。

后殿
皇帝や皇后の棺がある。
四川にある
金[糸糸]楠木という木で作られた棺。
明代の半ばまでは、皇帝が亡くなると、妃や女官らも殉葬として葬られる風習があり、皇帝の死後、女性達は豪華な食事をとった後、首をくくって殉死し埋葬されたのだそうだが、この定陵の場合は、大きな棺の手前のものが皇帝よりも10年先に47歳で亡くなった皇后の棺で、もう一人の皇后もその次に皇帝よりも3か月前に亡くなったのだそう。手前の小さな箱は全部で26個あり、さまざまな宝物が約3000点入れられていた。


地下宮殿の皇后の宝座


明楼
全てのお墓の前に必ずある楼

上に「大明」、その下に「神宗顕皇帝之陵」とある。

はるか彼方には、最古で最大の長陵が見える。
この明の十三陵は北京中心部から約50キロ離れているので、界隈にはリンゴや桃、ザクロなどの果樹園が広がっていた。
お墓と言っても4種類あり、皇帝は「陵」、大臣は「塚」、農民は「墳」、孔子と関羽のお墓は「林」。孔子は文聖人、関羽は武聖人と死後に名付けられた聖人で、「林」と言われるお墓はこの2人の物しかない。

鹿の角の形をした柏の木である「鹿角柏」
樹齢が300~500年の柏の木には赤いタグが付けられている。

北京では、えんじゅの木(ニセアカシア)と柏が多く植えられていて有名なのだそう。


山吹が満開でとても綺麗だった。また、北京中心部のあちこちでも見られたが、桐の花も咲いていた。


この季節は、柳(左)や、ポプラ(右)の綿毛が非常に多く飛んでいた。
休憩がてら、お茶専門店へ。

色々なお茶があるが、やはり普洱(プーアル)茶がメインになっていた。


烏龍茶や普洱茶など試飲させてもらった。
烏龍茶の場合、10煎以上で飲むが、
3・4・7番茶が美味しいとされているとか。

古ければ古いほど良いとされる普洱茶。
これはなんと99000元!
日本円で約1336500円!!

この後は、オリンピック公園にある国家スタジアム(通称 鳥の巣)などを見て昼食を。その様子は<5>で。
前日にそのうちのひとつである 頤和園(いわえん) に行ったので(その様子は<1>で)、この日はまず午前中に 明の十三陵 ヘ。
明代の皇帝の陵墓群で、中国に現存する皇帝陵墓群としては最大規模。明朝には16人の皇帝がいたが、13人の陵墓がある。1409年~1644年に渡り、全体の広さは40キロ平米。
このエリアには、13ある皇帝のお墓の他に、妃のお墓が7つと宦官のお墓がひとつある。全て川の北側に位置しているが、明の最後の皇帝は首をくくって自殺をしたためにお墓造りをしておらず、唯一川の南側に埋葬されている。最大は永楽帝の長陵だが、陵墓への入り口がわかって内部が発掘されたのは定陵のみなので、定陵に行ってみることに。
定陵

明の第14代皇帝の神宗万暦帝(在位1572~1620年)と二人の皇后(孝端皇后と孝靖皇后)の合葬墓で、唯一地下宮殿を一般公開している。
この皇帝は10歳で即位し、政治は顧みず、12歳から自分のお墓造りに心血を注ぎ、地下宮殿で宴会をするなどして、その浪費が明の衰退原因のひとつになったと言われており、悪評の高い皇帝でもある。
このトンネル内から陵の入り口を
示したものが見つかったのだそう。
示したものが見つかったのだそう。


龍の息子とされる生き物の石版


人間界と地獄世界との境界に立つ門
手前が人間界で奥が死後の世界となる。
地下27メートルにある地下宮殿へ。建築面積は1195平米にもわたる石造の墓室が並ぶ。

地下宮殿の左配殿
もともと皇后の棺を置く予定だったが、工事当日に大雨で皇后の棺が入り口から入れられず、中央の部屋に皇帝と共に埋葬された為、左室はがらんどうとなっている。
土台の所に穴が開いていて、そこにお金を投げ入れることが出来ると幸運になると後世になって噂がたち、土台部分には多くのお金が撒かれていた。

后殿
皇帝や皇后の棺がある。
四川にある
金[糸糸]楠木という木で作られた棺。
明代の半ばまでは、皇帝が亡くなると、妃や女官らも殉葬として葬られる風習があり、皇帝の死後、女性達は豪華な食事をとった後、首をくくって殉死し埋葬されたのだそうだが、この定陵の場合は、大きな棺の手前のものが皇帝よりも10年先に47歳で亡くなった皇后の棺で、もう一人の皇后もその次に皇帝よりも3か月前に亡くなったのだそう。手前の小さな箱は全部で26個あり、さまざまな宝物が約3000点入れられていた。

地下宮殿の万暦帝の宝座

地下宮殿の皇后の宝座

約2トンの石で造られた門が地下宮殿を
守っているのだが、外から開けられないように
内側からのつっかえ棒も設置されていた。
守っているのだが、外から開けられないように
内側からのつっかえ棒も設置されていた。


全てのお墓の前に必ずある楼

上に「大明」、その下に「神宗顕皇帝之陵」とある。

はるか彼方には、最古で最大の長陵が見える。
この明の十三陵は北京中心部から約50キロ離れているので、界隈にはリンゴや桃、ザクロなどの果樹園が広がっていた。
お墓と言っても4種類あり、皇帝は「陵」、大臣は「塚」、農民は「墳」、孔子と関羽のお墓は「林」。孔子は文聖人、関羽は武聖人と死後に名付けられた聖人で、「林」と言われるお墓はこの2人の物しかない。

鹿の角の形をした柏の木である「鹿角柏」
樹齢が300~500年の柏の木には赤いタグが付けられている。

えんじゅの木(ニセアカシア)
龍(皇帝のシンボル)の手の形に似ている
とのことで有難がられている木。
とのことで有難がられている木。
北京では、えんじゅの木(ニセアカシア)と柏が多く植えられていて有名なのだそう。


山吹が満開でとても綺麗だった。また、北京中心部のあちこちでも見られたが、桐の花も咲いていた。


この季節は、柳(左)や、ポプラ(右)の綿毛が非常に多く飛んでいた。
休憩がてら、お茶専門店へ。

色々なお茶があるが、やはり普洱(プーアル)茶がメインになっていた。


烏龍茶や普洱茶など試飲させてもらった。
烏龍茶の場合、10煎以上で飲むが、
3・4・7番茶が美味しいとされているとか。

古ければ古いほど良いとされる普洱茶。
これはなんと99000元!
日本円で約1336500円!!

飾り物にもなっていて、脱臭効果があるのだそう。
この後は、オリンピック公園にある国家スタジアム(通称 鳥の巣)などを見て昼食を。その様子は<5>で。
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