一昨年にカキツバタを観に行って以来なので、今年は行ってみることに。

一昨年ここに来た時に、ボランティアガイドさんに案内してもらい色々と教えて頂いたので、その時の記事でお寺の沿革などを書いた。(その記事はこちら)
カキツバタの由来や、八つ橋の話、アヤメとショウブなどとの見分け方などは、その記事と重複となるが、すっかり失念していたので備忘録として。




カキツバタ 燕子花の由来
カキツバタを漢字では、「杜若」とも書くが「燕子花」とも書く。
それは、3枚の花弁の咲き始めの様子が、まるで燕が飛んでいる時のように見えることから当て字にされたのだそう。
花は4~5日間咲き、主に午前中の日差しを浴びて開花する。1本で4輪が咲くが、1輪目が一番大きく色鮮やかで美しい。
カキツバタ、アヤメ、ショウブの見分け方 wikipediaより
八橋の伝説
夫を亡くし、女手一人で8歳と5歳の二人の男の子を育てている女性が居た。
お母さん恋しさから、子供達が川の対岸で働いているお母さんに会おうとし、橋のない川を歩いて渡ろうとして溺れて二人とも亡くなってしまった。子供二人をも亡くしてしまったお母さんは出家し、子供の菩提を弔ったが、夢枕に僧が現れ、明朝入江に行くとそこに材木があるのでそれで橋を作れ、それが子供の供養となる、と言ったのだそう。
翌朝、実際に材木が入江に浮いていたことから、村人がその入江に材木を互い違いに8つかけて橋とし、以降この地が八橋と名付けられた。
お菓子の八ツ橋
元禄2年(1689年)、聖護院の黒谷(金戒光明寺)の参道のお茶店で作られたのが始まり。
八橋(古くは助詞を付けない)の名の由来については、箏曲の祖・八橋検校を偲び箏の形を模したことに由来するとする説と、「伊勢物語」第九段「かきつばた」の舞台「三河国八橋」にちなむとする説がある。
本家西尾八ツ橋によると、上述の古事を聞いて感銘を受けた京都の西尾家の先祖が橋の形に似せた米の粉で出来たおせんべいを作って八ツ橋と名付けた。以降、カキツバタの咲いている花全体の姿を横から見ると三角形に見えることから三角の生八ツ橋も考案されて行った。



一昨年ここに来た時に、ボランティアガイドさんに案内してもらい色々と教えて頂いたので、その時の記事でお寺の沿革などを書いた。(その記事はこちら)
カキツバタの由来や、八つ橋の話、アヤメとショウブなどとの見分け方などは、その記事と重複となるが、すっかり失念していたので備忘録として。


ツツジやモミジも可愛い色をつけていて
アクセントになってくれた。
アクセントになってくれた。


カキツバタ 燕子花の由来
カキツバタを漢字では、「杜若」とも書くが「燕子花」とも書く。
それは、3枚の花弁の咲き始めの様子が、まるで燕が飛んでいる時のように見えることから当て字にされたのだそう。
花は4~5日間咲き、主に午前中の日差しを浴びて開花する。1本で4輪が咲くが、1輪目が一番大きく色鮮やかで美しい。
カキツバタ、アヤメ、ショウブの見分け方 wikipediaより


夫を亡くし、女手一人で8歳と5歳の二人の男の子を育てている女性が居た。
お母さん恋しさから、子供達が川の対岸で働いているお母さんに会おうとし、橋のない川を歩いて渡ろうとして溺れて二人とも亡くなってしまった。子供二人をも亡くしてしまったお母さんは出家し、子供の菩提を弔ったが、夢枕に僧が現れ、明朝入江に行くとそこに材木があるのでそれで橋を作れ、それが子供の供養となる、と言ったのだそう。
翌朝、実際に材木が入江に浮いていたことから、村人がその入江に材木を互い違いに8つかけて橋とし、以降この地が八橋と名付けられた。
お菓子の八ツ橋
元禄2年(1689年)、聖護院の黒谷(金戒光明寺)の参道のお茶店で作られたのが始まり。
八橋(古くは助詞を付けない)の名の由来については、箏曲の祖・八橋検校を偲び箏の形を模したことに由来するとする説と、「伊勢物語」第九段「かきつばた」の舞台「三河国八橋」にちなむとする説がある。
本家西尾八ツ橋によると、上述の古事を聞いて感銘を受けた京都の西尾家の先祖が橋の形に似せた米の粉で出来たおせんべいを作って八ツ橋と名付けた。以降、カキツバタの咲いている花全体の姿を横から見ると三角形に見えることから三角の生八ツ橋も考案されて行った。
本家西尾八ツ橋 : 「あんなま」1689年(元禄2年)創業
聖護院八ツ橋総本店(玄鶴堂) : 「聖(ひじり)」1689年(元禄2年)創業
聖光堂八ツ橋総本舗 : 「なまやつ」1850年(嘉永3年)創業
聖護院八ツ橋総本店(玄鶴堂) : 「聖(ひじり)」1689年(元禄2年)創業
聖光堂八ツ橋総本舗 : 「なまやつ」1850年(嘉永3年)創業

ミズスマシ
マツモムシ?も
カキツバタ観賞中?
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