世界遺産の 天壇公園 に行った後、午後からは 天安門広場 と同じく世界遺産の 故宮 に行った。

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南北880メートル、東西300メートルの天安門広場の面積は44万平米で、100万人が収容できるとも言う。
2009年10月1日の建国記念日には、東(画像の右)から西(画像の左)へと戦車などがパレードを行った。
どうしても天安門広場と言うと、1989年の天安門事件の映像が思い出されてしまうのだが、警官はところどころに居るがそのようなことを感じさせない観光地と言った印象だった。

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前門(左)と
正陽門(右)






イメージ 3日本の国会議事堂にあたる人民大会堂は、1959年に建てられ、南側(画像の左)は大きなホール、中央部分は1万人収容の講堂、北側は5千人収容の宴会場となっている。

手前にある石碑は人民英雄記念碑で、広場では一番高い38メートル。製作に6年もかかったが、毛沢東と周恩来の文字も刻まれ反日運動などもモチーフとなっている。

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国家博物館
玉(ぎょく)が一番多く展示されている。





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軍人が立っているのだが、
2時間微動だに出来ないのだそう。







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紫禁城の外城壁南端に位置する正門である天安門








日本人が得てして抱いている毛沢東の印象とは異なり、中国人は毛沢東には好意的で、彼の最後の妻である江青女史に対して好意的ではないのだそう。
紫禁城とは、「紫微垣」という北極星を中心とした星の配列に基づき、北極星を天帝とみなして北に皇帝の宮殿を配置したもので、新政府になって古い宮殿を意味する「故宮」と名前が変えられた。
広さは72ヘクタール。南北に960メートル、東西に750メートルという長方形。1406~1420年に渡って建設された。(日本では室町時代)

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午門








午門を入ると、初めて紫禁城内に入ることになる。金水河という人造の川が流れており、そこに5つの橋がかかっている。中央は皇帝専用の橋、その左は皇族専用、右は大臣専用と別れていた。
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右は午門、左は太和門

イメージ 10金水河
防火と排水の役目を果たしていた。
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太和門の両脇には銅製の獅子が2頭。
左はメスで、手の下には子供、右はオスで、手の下にはボール。
ボールは世界を、ひいては皇帝を表している。

全部の部屋は9999.5部屋あると言われているが、1万という数は天帝しか使えないので、それにほんの少し満たない部屋数ぐらい多いという表現で、実際には8704部屋。もし各部屋に一泊ずつしたとしても、27年間かかるとか。。。明・清時代の24人の皇帝が使った。
「故宮」と言われるものは3つあり、一番広いものはこの北京の故宮、宝物が一番多いのは蒋介石が台湾に移動させたので台湾の故宮、一番小さいものは愛新覚羅家の故郷の瀋陽にある故宮。

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太和門
もともと「大朝門」と言われていた。






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太和門を越えて行くと太和殿


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中央の通路は皇帝のみが輿に乗って通れる。

太和殿
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紫禁城の中での正殿で、最大。中国の木像建築物の中でも最大。
映画の「ラストエンペラー」で即位の場面などに使われた場所。実際に、愛新覚羅溥儀がわずか3歳の時に即位したが、溥儀がその時に泣いてしまったので、「もうすぐ終わるから」となだめられたと言う。その「終わる」という言葉が不吉な予言となって清は滅亡したというエピソードまであるのだとか。

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前にある香炉は
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表す。













太和殿内部
皇帝専用の宝座が置かれ、周囲には龍が彫られた金色の直径1メートルの6本の柱、天井も非常に美しく、「軒轅鏡」といわれる球形の鏡をくわえた龍がおり、天命を受けていない皇帝が宝座に座るとその玉を落として皇帝を殺すと言われている。

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屋根は皇帝にしか使用が許されなかった瑠璃瓦で、屋根の上にある「走獣」が面白い。

一番前は鳥に乗った神、鳳凰、麒麟、獅子、天馬、海馬、闘牛、、、など10種類。





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中和殿

太和殿で公式行事を行う皇帝がその前に休んでいた所。

北京の冬は寒いので、火鉢だけでは足りず、この建物の床の下にはオンドルが設置されている。


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控えの間であっても
中はとてもゴージャス








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保和殿








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科挙の試験である「殿試」がここで行われ、最終面接は皇帝が直々に行っていた。
この建物には内部に柱がないが、カンニング防止の為。
科挙の試験に1番となると、午門(上記の最初の大きな門)の皇帝専用の中央通路を一生に一度だけ通れるという栄誉が与えられた。
日本から留学していた阿倍仲麻呂が合格したのだとか。



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北側中央通路にも、大石雕と言われる龍を刻んだ巨大な一枚岩のレリーフがあり、輿に乗った皇帝が通ったのだが、これが一番大きなもの。







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北側からの眺め
景山をも望める。



今までは公務をつかさどった場所の「外廷」で、ようやくここからは居住スペースの「内廷」となる。

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乾清宮








イメージ 34寝室が9つあったが、その夜に皇帝がどこの部屋で寝るかは、安全上、妻たちにも知らされていなかったのだそう。

漢字の横には満州文字が
併記されている。
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「正大光明」の文字は順治帝(乾隆帝の祖父)の字。
皇位継承に疑問を持たれた時以降、次期皇帝の名前を
収めて封印した箱をこの「正大光明」の下に収めておく
制度が出来た。




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交泰殿(手前)と坤寧宮(奥の建物)






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交泰殿
ここにも、太和殿内部と同様、球形の軒轅鏡をくわえた龍が天井にいる。
「無為」は康煕帝の文字。横の板屏風は、乾隆帝の文字。
高さ5メートルの大きな時計「大自鳴鐘」がある。
内部には、皇后の為に、25個の印鑑を収めていた。金製の印鑑が23個、玉が1個、めのうが1個。
陽数と陰数などを重んじていた当時、陽数である1・3・5・7・9を全部足した和が25だったことから25個の印鑑となり、最大の9は皇帝の数とされていた。







坤寧宮

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皇帝の寝室であり、婚礼なども行われた場所。


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一番北に位置する神武門
書家の郭沫若による字。






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角楼は高さ27.5メートルで四隅に設けられている。






はしょって見学しても2時間半ほどかかってしまった。未だ未だ見たい建物だらけで、いかに広大かを実感。
この後は、北京最後の晩御飯として、念願だった満漢全席を。その様子は<11>で。