第二東名が出来たので、ドライブに行ってみることに。
静岡のお茶所である牧の原台地には以前に 寸又峡温泉 大井川鉄道沿い を散策したが(その様子は こちらこちら)、今回は 牧の原台地 から 御前崎 の方に足を伸ばした。
(花の名称などは私なりに調べてみましたが、間違っておりましたら、お教え頂けると嬉しいです。)

東海道 金谷坂の石畳

イメージ 1東海道五十三次の金谷宿は、西に中山峠、東に大井川の難所に挟まれ、川越えの宿場として栄えていた。
江戸時代に幕府が、金谷峠の坂道を旅人が歩きやすいようにと山石を敷き並べたもので、わずか30メートルだけ残っていたが、平成3年に430メートルに復元された。
今、街道の石畳で往時を偲ぶことができるのはこの金谷坂と、箱根峠、中山道十曲峠の3か所のみ。

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石畳の間には
カタバミの花が
楚々と咲いていた。







諏訪原城跡

天正元年(1573年)、武田勝頼が家臣の馬場美濃守氏勝に命じて築城したもので、現在はその空堀などの遺構が残っている。扇状をした山城で、甲州流築城法の典型で、自然堀と人工の堀の13本がある。急斜面を利用していて石垣はない。武田氏の守護神である諏訪明神を祀っていることから諏訪原城と呼ばれるが、牧野(原)城、金谷城、扇城とも呼ばれた。
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五号堀
甲州流の三段堀という底部は3段になった堀。
敵の侵入を手間取らせる為。

土橋
壁立という壁のような切り立った構造で
堀を渡る為の道となっているが
4号堀と9号堀の水位を調節していた。

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天主閣はない山城で、
2層の矢倉(櫓)があった。
その辺りからの眺め。
大井川が望める。








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マツバウンランが辺り一面に生えていた。


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野イチゴ?ヘビイチゴ?




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ニガナ



ヤマキマダラヒカゲ



牧の原台地イメージ 6



















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さすがにお茶所。
一面にお茶が広がり、緑のベルベットのよう。







御前崎&なぶら市場

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かつお漁も盛んなようで、鯉ならぬ鰹が風になびいていた。

市場では美味しそうな魚介類が。
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生の桜エビ、ながらみという貝(この1箱一杯で1300円)
桜エビを買って天麩羅にしたところ、とても美味しかった。

市場で昼食を。
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生しらす丼
500円
とても美味しかった。




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海鮮丼
まぐろ、イカ、つぶ貝、海老、
いくら、穴子、ネギトロ
1200円





徳川三大将軍家光の時代に、経済の発展につれて江戸と大坂を行き来する船が急増し、岬沖の岩礁で座礁漂着する難破船が多かったことから、寛永12年(1635年)あんどん型の「見尾火灯明堂」を建設。しかし、強風や高波では役に立たず、難破船は減らなかった。明治時代になって、カンテラ灯台が1871年に建設され、翌年からは現在の西洋式灯台の建設が始まった。
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御前埼灯台
英国人の指導のもと、明治7年(1874年)に点灯開始。

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浜岡砂丘


浜岡原発ですっかり有名になってしまった浜岡。
砂丘があると言うので行ってみたが、砂丘と呼べるほどのものではなかったが、公園が広がっていた。

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松露(ショウロ)という茸が発生するという松林。
昔は、落ちた松葉を集めて燃料にしていたので、絶えず松の根元が綺麗になっており茸が育ちやすい状態にあったが、現在はそのままなので、ここ20~30年は松露が発生しづらい環境になってしまったとのこと。係の方曰く、今年は松露を6つほど見ただけだったと。



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センダン


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シャリンバイ



その松林などを抜けると海が広がる。左に見えるのは浜岡原発。何事もないように元気に子供達が海に入るなどして遊んでいたのが印象的だった。
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砂浜とは言え、色々な植物が生息していた。

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ハマヒルガオ
セイヨウミヤコグサ

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ハマエンドウ

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コマツヨイグサ

ハマボウフウ


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若い雉のメスにまで
出会えた。