昨年は、筒井町山王祭の宵祭りと千秋楽 を楽しんだのだが(その様子は こちらこちら)、今年は、筒井町の山車が2輌と出来町の山車が3輌が集う 徳川園山車揃え をまず観に行くことにした。

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この日は、筒井町山王祭と出来町山王祭が行われ、それぞれは独立したお祭りなのだが、徳川園が改装工事を終えた2006年から100年ぶりに、この2つの町内の山車5輌がそれぞれの山王祭の千秋楽日の午前中に揃うようになった。
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徳川園に来るまでも大変。
長い棒で電線を持ち上げる人や、屋根方の人達も電線にひっかからないようにと注意しながら進む。

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筒井町の神皇車(じんこうしゃ)と湯取車(ゆとりぐるま) が徳川園南の交差点に北上して来ると、出来町通り(東西の通り)は交通規制を行っていないので一般車が普通に走っているなか、神皇車だけは一旦屋根を高く上げてからくり人形を出し、曳いている人達は座るなどしてからくりを北西?西北西?の方向に奉納していた。
何処の方向に向いているのかは良くわからないが、もともと津島神社の祭礼で始まった天王祭なので、津島神社の方角なのかなぁと思ってみたり。
神皇車のからくりは、煙を上げると巫女人形が龍神に早変わりする。

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出来町の3輌もやって来ていたが、古出来町出身の河村市長も列に加わって、沿道の人達と気軽に握手に応じていた。

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そばで観るとやはり圧巻。

筒井町の神皇車、新出来の鹿子神車(かしかじんじゃ)、中之切の河水車(かすいしゃ)、古出来の王羲之車(おうぎししゃ)、そして最後に再び筒井町の湯取車の順で、徳川園の蓬左文庫を正面としてからくりや担ぎ回しが披露される。

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筒井町の神皇車(じんこうしゃ)

江戸後期の文政元年(1818年)に旧広井村(現在の名駅4丁目)で造られ、明治4年に筒井町が購入。
からくりは人形が山車の名の由来ともなった神功皇后人形・武内宿禰人形・面かぶり巫女人形・采振り人形の4体で、神功皇后が戦に臨む際に現れた龍神が金玉を海上に投げ、波が静まったという故事に基づいた内容を演じるもので、巫女人形が龍神に早変わりする。
(早変わり後の様子は前述の道路沿いでのからくり披露の画像を参照して下さい。)

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去年は山車を担ぎ手の切師をされていた東海テレビの福島智之アナウンサーは、今年は屋根方になっておられた。

新出来の鹿子神車(かしかじんじゃ)
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江戸中期の宝暦11年(1761年)に造られ、文化7年に西之切(現在の新出来1丁目)が譲り受ける。からくりは、小唐子人形が台の上で逆立ちをして小太鼓を打ち鳴らし、中唐子人形が団扇太鼓を打ちながら物凄いスピードで左右へ飛び走る様を観て、大将が軍配を振るというもの。

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逆立ちしている小唐子の台の下にはもっと小さな唐子人形もぐるぐる一緒に回っていた。

山車のからくり披露が終わった後、山車を高速で2回転半させるズリを披露し、拍手喝采を浴びていた。(ズリとは、車輪を地面につけたまま方向転換する方法。)

中之切の河水車(かすいしゃ)
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江戸時代前期の延宝2年(1674年)に造られ、戦災により山車「石橋車(しゃっきょうしゃ)」を失った当時の中之切(現在の出来三丁目)が昭和23年(1948年)に購入した。

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人形は大将・獅子の唐子人形・中人形の唐子・麾振りの4体で、能楽の「石橋」に由来する獅子舞が演じられる。獅子の唐子人形が頭を前後させながら踊り、中人形の唐子が左右に走り動いて太鼓を打つ。
物凄い勢いで頭を動かすのは迫力満点だった。

古出来の王羲之車(おうぎししゃ)
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江戸時代中期の寛保年間(1741年~1744年)に作られたものを文化2年(1805年)に当時の東之切(現在の古出来一丁目)が購入したが、戦災で焼失したため昭和23年(1948年)から5年がかりで再建された。
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王羲之大将人形・親木偶人形・子木偶人形・麾振り人形の4体で、獅子頭をつけた子木偶が、軍配団扇を持った親木偶に手をかけ、逆立ちしをして獅子舞を演じる。

筒井町の湯取車(ゆとりぐるま)
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江戸時代前期の万治元年(1658年)に作られたものが天保2年(1831年)に当時の情妙寺前(現在の筒井町4丁目)へ譲られたもので、名古屋に現存する山車で最も古い。

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人形が安倍晴明人形・巫女人形・太鼓人形・笛人形の4体であり、巫女による湯取り神事が演じられる。湯立を行う巫女が釜の中をかきまわすと、「湯の花」と呼ばれる白紙の紙吹雪が釜から吹き上がる。
この山車も、新出来の鹿子神車と同様、2回転半のズリを行って大きな拍手をもらっていた。

5つの山車がからくりを披露した後、筒井町の2輌が先に徳川園を後にしていた。
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徳川園の黒門(正門)では、先着1000名に徳川園山車揃え団扇を配っていた。

この後、出来町天王祭、そして 筒井町天王祭 をそれぞれ観に行った。