豊田市美術館で、「カルペ・ディエム 花として今日と生きる Carpe Diem Seize the day」 という展覧会をやっていたので、行ってみた。(画像:写真撮影が可能な作品とそうでない作品とが混在していたので、不可なものはHPから)

人生の無常を伝えるローマ時代の格言である 「カルペ・ディエム 今日を生きよ」 は、幸福の原点を未来に追い求めるのではなく、日々の暮らしの中に見出す言葉とも言われていることから、この展覧会では花をテーマにした現代作家12名の絵画、写真、インスタレーションや、花摘みの物語や生と死についての16世紀の版画、夏目漱石の書籍や竹久夢二の挿絵、藤田嗣治の絵画など多岐に渡って展示されている。

福田美蘭 「Two bouquets」 1991

福永恵美 「greenhide」 2005-2006
菊を蝋で作っている。70度以上となると蝋が溶けてしまうのだそう。葉は脱色してその上から蝋がかけてある。

グスタフ・クリムト 「オイゲニア・ブリマフェージの肖像」 1913-1914

セバルト・ベーハム
「貴婦人と死」 1541
百合は純潔な処女を意味し、砂時計はせまる死へのカウントダウンを意味する。死神が女性に求婚することで、死へといざなっている。この時代は、ペストが流行し、「死」を題材にした作品が多い。


福田美蘭 「供花」 2012
作家のお父さんの死へのオマージュ。お父さんの死を悼んで供花されたお花のスナップをコラージュしたもので、ゴッホの影響を受けている。

鬼頭健吾 「カルペ・ディエム」 2012

鬼頭健吾 「quasar」 2004
線路の上に人工的に花を配置して撮った写真。表と裏では異なるという意味がこめられているのだそう。


鬼頭健吾 「無題」 2012
数多くの糸が天井から吊り下げられているが、藤棚をイメージしているのだとか。



荒木経惟 「堕落園」 2012
大きな部屋に荒木氏が一枚一枚撮った写真がずらっと帯状に並んでいる。花、人形、恐竜がそれぞれ配置されているのだが、人形は女性を、恐竜は荒木氏を示していて、彼の独特の世界観があらわれている。

荒木経惟 「センチメンタルな旅」 1971
あちこちで見る彼の作品群だが、奥様との結婚、新婚旅行などの写真から始まり、奥様が若くして闘病生活をし、コブシの花を病床に届ける荒木氏のシルエット画像や、そしてやがて棺の中でコブシの花に囲まれた奥様の死化粧姿や、お葬式の様子などが順次展示されている。


福永恵美 「lamination layer」 2011-2012
蝋で覆われた菊が置かれ、ぐるりを囲む壁には、その菊の葉だけがずらっと貼られている。

イケムラレイコ 「メメント・モリ」 2012 陶の作品


宮島達男 「Archives of Death Clock」 2011-2012
数多くの人達の顔の写真が並んでいるのだが、顔の前には8ケタほどの数が並び、死へのカウントダウンということを示している。会場では、来場者自身がその顔の部分になってスクリーンに映写されることも出来、もしかしたらその画像が後日これらの作品に加えられるかもとのことだった。

ノット・ヴィタル 「Lotus」 2011


伊島薫 「Sakai Maki wears Jil Sander」 2008

常設展は前とほとんど変わっていなかったが、以前に見たことがないものとして

藤田嗣治 「美しいスペイン女」 1949
戦後に日本を離れ、フランス行きのビザを取得するためにNYに滞在していた時に制作されたもの。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を想起させるものとなっている。
「死」というものを意識することで「生」を表現し今を生きることの意義を追及した作品達は、時代を超え、又さまざまなアプローチ方法での表現となっていたので、面白かった。

人生の無常を伝えるローマ時代の格言である 「カルペ・ディエム 今日を生きよ」 は、幸福の原点を未来に追い求めるのではなく、日々の暮らしの中に見出す言葉とも言われていることから、この展覧会では花をテーマにした現代作家12名の絵画、写真、インスタレーションや、花摘みの物語や生と死についての16世紀の版画、夏目漱石の書籍や竹久夢二の挿絵、藤田嗣治の絵画など多岐に渡って展示されている。

福田美蘭 「Two bouquets」 1991
ブーケを持った女性の左手側からは、実際の花が絵に差し込まれていて、日々その花の枯れ行くさまが
見られるようになっており、今日という日と枯れるということが対峙されている。
見られるようになっており、今日という日と枯れるということが対峙されている。

福永恵美 「greenhide」 2005-2006
菊を蝋で作っている。70度以上となると蝋が溶けてしまうのだそう。葉は脱色してその上から蝋がかけてある。

グスタフ・クリムト 「オイゲニア・ブリマフェージの肖像」 1913-1914

セバルト・ベーハム
「貴婦人と死」 1541
百合は純潔な処女を意味し、砂時計はせまる死へのカウントダウンを意味する。死神が女性に求婚することで、死へといざなっている。この時代は、ペストが流行し、「死」を題材にした作品が多い。

藤田嗣治 「花を持つ少女」 1918
モジリアニの影響が色濃い作品

福田美蘭 「供花」 2012
作家のお父さんの死へのオマージュ。お父さんの死を悼んで供花されたお花のスナップをコラージュしたもので、ゴッホの影響を受けている。

鬼頭健吾 「カルペ・ディエム」 2012
花のイメージをサンプリングしてコラージュし布にプリントしたもので、キリストの磔をイメージした布の貼り方となっている。

鬼頭健吾 「quasar」 2004
線路の上に人工的に花を配置して撮った写真。表と裏では異なるという意味がこめられているのだそう。

渡辺豪 「それになるためにそれを摘むこと」 2012
ハクモクレンが徐々に咲いて開いていくさまを30分ほどに渡って映像にしたものだが、人工的に作られたハクモクレンなのだそう。

鬼頭健吾 「無題」 2012
数多くの糸が天井から吊り下げられているが、藤棚をイメージしているのだとか。

栗田宏一 「いのちをつなぐ土」 2012
四十九日をイメージし、2階に上がる階段の脇に49個の小さな容器に入れられた土が並ぶ。土は着色してあり、徐々に色が変わっている。


荒木経惟 「堕落園」 2012
大きな部屋に荒木氏が一枚一枚撮った写真がずらっと帯状に並んでいる。花、人形、恐竜がそれぞれ配置されているのだが、人形は女性を、恐竜は荒木氏を示していて、彼の独特の世界観があらわれている。

荒木経惟 「センチメンタルな旅」 1971
あちこちで見る彼の作品群だが、奥様との結婚、新婚旅行などの写真から始まり、奥様が若くして闘病生活をし、コブシの花を病床に届ける荒木氏のシルエット画像や、そしてやがて棺の中でコブシの花に囲まれた奥様の死化粧姿や、お葬式の様子などが順次展示されている。

福永恵美 「penetrate」 2012
ガラス面に、脱色したダリアが貼られている。
福永恵美 「lamination layer」 2011-2012
蝋で覆われた菊が置かれ、ぐるりを囲む壁には、その菊の葉だけがずらっと貼られている。

イケムラレイコ 「メメント・モリ」 2012 陶の作品


宮島達男 「Archives of Death Clock」 2011-2012
数多くの人達の顔の写真が並んでいるのだが、顔の前には8ケタほどの数が並び、死へのカウントダウンということを示している。会場では、来場者自身がその顔の部分になってスクリーンに映写されることも出来、もしかしたらその画像が後日これらの作品に加えられるかもとのことだった。

ノット・ヴィタル 「Lotus」 2011

伊島薫
大きな魚眼レンズのようなものでずっと太陽の動きを撮った写真で、太陽の動きが一直線になる場所(シンガポール)や、放物線のような動きや楕円を描く場所など、ノルウェーやケニアなどで撮った作品が並ぶ。
伊島薫 「Sakai Maki wears Jil Sander」 2008
作家と親交のある女優の坂井真紀さんをモデルとしている。坂井真紀さんが、死ぬときはスタジオで、という言葉による。

伊島薫 「Angela Reynolds wars Valentino」 2011
堕天使のイメージをモデルのアンジェラ・レイノルズが表現している。小原にある四季桜の里で撮影したのだそう。
常設展は前とほとんど変わっていなかったが、以前に見たことがないものとして

藤田嗣治 「美しいスペイン女」 1949
戦後に日本を離れ、フランス行きのビザを取得するためにNYに滞在していた時に制作されたもの。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を想起させるものとなっている。
「死」というものを意識することで「生」を表現し今を生きることの意義を追及した作品達は、時代を超え、又さまざまなアプローチ方法での表現となっていたので、面白かった。
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