富山市の八尾(やつお)で毎年9月1~3日に行われる おわら風の盆 は、一種独特なので一度は観に行ってみると良いと、知人達からアドバイスされていたので、行ってみることにした。

諏訪本通り
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蔵並通り
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東町、西町、今町、上新町、鏡町、下新町、諏訪町、西新町、東新町、天満町、そして福島の11の町内がそれぞれ行うお祭りなのだが、まず始まる前に少し町を散策。
諏訪町にある諏訪町本通りは、「日本の道100選」にも選ばれた風情のある家並を楽しむことが出来る。

諏訪本通りを歩いていると、どこからともなく三味線などの音がする。お祭りは午後3時頃から実際に始まるのだが、町の地方(じかた)の方々が飲みながら演奏されていた。
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三味線と胡弓を使っての演奏に歌が入る。何故、胡弓?と思うのだが、胡弓が使われ出したのは明治40年代からで、旅職人であった松本勘玄が導入したのだそう。
演奏されていたうちの2人が、非常に貴重な演奏を聞けたんだよとおっしゃっているのに何のことか良くわからず後から知ったのだが、三味線の名人である飯島善次氏が普段にはない胡弓を弾いておられたもよう。
僕たちの演奏をまた聞きたければ、夜中の2時~4時ぐらいにまたおいで、とのこと。夜通し行われるお祭りならではのコメント。


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町流しなどが始まる 東新町 でも、着々と準備が始まっていた。

おわら風の盆とは:
元禄15年(1702年)、加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が、町の開祖米屋少兵衛家所有から取り戻した祝いに、三日三晩歌舞音曲無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりとされる。
「おわら」とは、江戸時代文化の頃、唄の中に「おわらひ(大笑い)」という言葉を差しはさんで町内を練り廻ったのがいつしか「おわら」と唄うようになったという説、豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘が唄い始めたからと言う「小原村説」など。
二百十日の前後は、台風到来の時節で、昔から収穫前の稲が風の被害に遭わないよう豊作祈願が行われ、その祭りを「風の盆」と言った。また、富山の地元では休みのことを「ボン(盆日)」という習わしがあったと言われている。(HPより抜粋)

諏訪町の輪踊り
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八尾の人口は2万人ほどでも、お祭りを行う旧町11の人口は約5000人という山間の風情ある静かな町が、この3日間では例年20万人もの来訪者となり、特に今年は9月1・2日が土日に当たることもあり、27万人だったとのこと。

お昼間は小さな子供達も交え、町流しや輪踊りが行われる。

東町の町流し
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最初に踊り手、その後に三味線、胡弓、太鼓、囃子の地方(じかた)と唄い方の人達がゆっくりと列になってやってくる。

聞名寺
今町にあるこのお寺では、踊り方の基本などを説明して実践させてくれる。
(因みに、地元以外の県内外から集まった「越中八尾おわら道場」の人達とのこと。)
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今町の町流し
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東町の輪踊り
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各町ごとに、町流しも輪踊りも、移動しながら行うので、我々がうろうろしていたところ、また東町の一行に出会えた。

女性は黒い帯をしているが、昔は衣装を揃える際に帯まで手が回らず、ほとんどの人が持っている冠婚葬祭用の黒帯を用いたことの名残り。
一方男性は農作業衣をかたどったハッピ姿だが、実際には羽二重で作られた衣装で、一着何十万円もするものもあるのだそう。
かつては、花街である鏡町の女性しか踊らなかったが、徐々に一般の女性も踊るようになり、手ぬぐいで顔を隠して踊っていたのが笠をかぶるもととなった。

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腹が減っては祭の観賞も出来ぬ、ということで。
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八尾の町の中を流れている井田川で友釣りで獲った天然鮎の塩焼きが売られていたので買ってみた。焼いておられるおじさん達が釣られたそう。
一匹500円で2匹をお願いしたが、小さいからと、もう一匹を後からサービスして下さった。
香魚というだけあって風味豊かでとても美味しく、頭までしっかり食べられた。

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風の盆のかまぼこ

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さすがは富山。お祭りの屋台と言っても、白海老の天麩羅が売っている。

おわら演舞場
午後7時から、八尾小学校のグランドの特設ステージで行われる舞台踊りを観に行った。舞台踊りは町流しや輪踊りでは行われない踊りを披露するもので、9月1日に5つの町、2日に6つの町がそれぞれ出演することになるのだが、この日は突然の雷雨などがあった為に天満町が来れずに4つの町の披露となった。

諏訪町
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鏡町
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東町
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右から2人目の人はこのポーズを長い時間きめていて、拍手が起こっていた。
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西新町
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どの町内も最後には子供なども出演し、3~4歳ぐらいの男の子は舞台の上で迷子になってしまい、男性の後に女性が続くところ、女性の中に混ざってしまっていて笑いを誘っていた。最後は、ひとつの町で総勢40~70名ぐらいの総踊りとなるのだが、西新町は高校生以上に限っていた。
4つの町の踊りもそれぞれ異なり、演奏する地方(じかた)や唄い手さんの実力にも差があってみたりするが、それはあくまでも地元の人達によるものなので、ご愛嬌と言ったところか。


この後は、夜の町流し を観に。その様子は その2 で。