富山市の八尾(やつお)で毎年9月1~3日に行われる おわら風の盆。1日のお昼間から、輪踊りや町流し、演舞場での舞台踊りなどを観賞した後(その様子は その1 で)、その真骨頂である夜の町流しを観に町へ。
(フラッシュ撮影はしておりませんので、見辛い画像ですがご容赦下さい)

鏡町
女性2人、男性2人と地方(じかた)の演奏と唄い手によるもの
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諏訪町
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日本の道100選にも選ばれた諏訪町本通りを徐々に踊りながら上がって行った。



諏訪町の町流しは規模も大きく、夜9時台は未だ大勢のツアー客も居て一番人気の場所なので、前後をガードする町の担当者がロープを張ってフラッシュ撮影の禁止をお願いして回っておられた。観光客の中には 「まるで芸能人じゃあるまいし・・・」 とフラッシュ禁止について不満を述べておられる人もあったが、そうではない。
もともとのこのお祭りの趣旨は収穫前の稲が風の被害に遭わないよう豊作祈願として静かに夜通し町を練り歩いていたもので、見せる為のパレードでも何でもない。それでもパシャパシャとフラッシュがついたり、三味線と胡弓の何とも言えない哀愁を感じさせる音色と一人だけの唄い手さんの唄声が、観客の話し声で邪魔されるのは気の毒だった。

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このお祭りの真骨頂はやはり夜中2時以降とのことなので、お夜食にお赤飯を。
私が幼い頃から食べなれているお赤飯は、小豆があらかじめ糯米と共に炊いてあるものにごま塩をふるものだが、ここのものは色づけされて炊かれた糯米に金時豆の甘納豆が混ぜられていてごま塩。甘くて塩っぱい何とも不思議なお赤飯だったが、札幌出身の宿六にとっては、これが当たり前のお赤飯とのこと。お赤飯ひとつをとっても所変わればである。

我々は指定駐車場に車を置いて、途中休憩に戻るなどしたが、キャンピングカーなどで来られていたり、駐車場の空いたスペースにテントを張るなどして夜の時間を過ごす人なども。全くシチュエーションは異なるが、鈴鹿での8時間耐久レースを観に行った時、駐車場で人それぞれマイペースに時間を過ごして楽しんでいる人達が多かったことに似ているような気がした。夜食もとってエネルギー注入後、ふたたび1時半頃に出陣してみると・・・

東町の方々?
お着物は浴衣に変えられ笠もかぶらず、踊り手の女性を先頭に地方(じかた)の方々が暗い夜道を三味線と胡弓の音色と唄だけを響かせながらしずしずと進んで行く。
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西町? 
地方(じかた)や唄い手はなく、テープを流していたが、若者達での踊りを披露。男踊りの一番右の人は、このポーズでしばらく静止し、拍手をもらっていた。
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女踊りの中には、地元のTシャツにGパン姿の人も交じっていたが、踊りはばっちり。
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踊り終えると、踊り正面の家の人からご祝儀がふるまわれていた。

鏡町
おたや階段と言う階段が鏡町の絶好の観客席となるのだが、左の画像の鈴なりの様子は午後9時半頃、画像はその階段の上から撮ったものだが時刻は夜中の1時50分。
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鏡町近くで出会った何処の町の方々かは不明の町流し。
踊り手はなく、三味線と胡弓、唄い手さんだけのシンプルだが、これぞと思わせる町流し。
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鏡町にやってきたのは女性の踊り手さん4人と地方(じかた)と唄い方さん
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諏訪町本通りに行ってみると、すでに夜中の2時をまわっているというのに、未だ未だ人通りがある。
電車もない時間帯なので、シニア世代でお疲れのような方達は、寝袋やそのまま歩道で寝ておられて、ビックリ。
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鏡町の人達が町流しでやって来た。
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3人の女性の踊り手を先頭に一行が諏訪本通りを行くと沿道から見る人やら、列に付いて一緒に歩く人やら。
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諏訪町
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そうこうしていると、諏訪本通りを上からやって来た。

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諏訪町だけは、男女とも笠をかぶっての踊りで、その後ろには浴衣を着た若い女性、そしてしんがりをしっかり着物を着られたベテラン組?の女性が続いていた。

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西新町
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鏡町
女踊りの人達の後、男踊りの人達が両脇に分かれ、その中を地方(じかた)や唄い手さんが通り過ぎて行った。
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上新町
三味線2人、胡弓1人に、唄を合わせて聞かせてくれていたが、全くの素人の私にも、お上手だとわかる腕前。普通の恰好をした左のおじさまと、右のおばさまが唄っておられたが、それがまた素晴らしい。派手な踊りが全くなくても、十分に引き込まれるものだった。
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2時台には座って演奏されていたが、3時台には町流しをされているところに遭遇できた。
唄い手さんは若い女性に変わっていた。この胡弓の演奏が好きだった。



町流しが通り過ぎた後の通りは、行燈の灯りが美しい。

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前夜は満月でブルームーンだったのだそう。ほぼ満月に近い綺麗な月が行燈で照らされた通りをより明るくしてくれていた。

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町流しは夜中の3時を過ぎても未だ未だこれからと言った感じだったが、後ろ髪を引かれつつ帰宅することに。

都合14時間ほど、おわら風の盆を楽しんだことになるが、やはりこのお祭りは、ツアー客も帰り、喧噪がなくなった夜の町流しこそが、風情もあり、三味線と胡弓と唄の音だけが静寂の中に響く本来の形に近いのかなと。

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郡上八幡まで戻って来た頃に、東の空が明るくなって来ていて、郡上八幡のお城が望めた。