古都 イスファハン の観光を。

ヴァーンク教会
アルメニア教会。
北部に居たアルメニア人が
1604年に亡命してきて、北部国境沿いのカラキリサに彼らの街を造ったが、後にテヘランに移住。
かつて彼らが住んでいた街の名前であるジョルファをこの新しい地区の名前にした。
サファビ時代(1501~1722年)にモスク風の建物など外観はイスラム風に改築されたが、1655年に増築完成。
画像ではわかりにくいが、十字架の縦棒の下の方にもう一本小さな横棒がつく。

外壁には、イラン語(ペルシャ語)でもないアルメニアの言葉が書かれている。

内部の装飾や絵は、目を見張るものがある。


修復されており、以前の汚れた状態の部分が
あえて残されている。

まるでブリューゲルの絵の
ようなバベルの塔の逸話が
描かれていたり、

最後の晩餐の場面が描かれていたりする。
このように内部を金色に塗るのはアルメリアから始まった。

博物館が併設されている。
イランで、最初に印刷をしたのはアルメニア人で、左の像はその機械を発明した人、右の像はアルファベットを造った人。
不勉強にもアルメリア人のことで知っていたのは、エルサレムを訪れた時に、4分割されたエリアに、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒と共に住んでいたことだけだったので、とても勉強になった。

1915年に、トルコがアルメニアに進行し、4月24日に150万人もの人が虐殺された。
トルコ側がようやく先月、その事実を認めたが、トルコはあくまでも大量虐殺ではなく、戦争だったと主張しているのだそう。
アルメニア人はとにかく手先が器用。

世界一小さな聖書
重さはわずか0.7グラムで、14ページもある。
7冊もあり、それぞれ違う言語で書かれている。

画像ではほとんど良くわからないが、、、
髪の毛に聖書の言葉が書かれている。

イランで初めて造られた印刷機

タイルなども非常に精緻に造られており
立体的に盛り上がっていたりもする。

象嵌細工も非常に細かい。
因みに、中国から陶器も入って来ていて、
イラン語で、陶器のことをチャイナが転じて「チニ」
と言うのだそう。
アルメニア人は、イラン語を学校で学ぶが、アルメニア語を話す。彼らは、飲酒も認められ、自分達でお酒を造り飲んでいる。イランにあっても、金曜を休むのではなく、個人商店などは日曜を休みとしており、公務員などでも、日曜の午前は教会に行く為に半休が認められている。
ただし、イランの国の決まりとして、アルメニア教徒の女性であっても、イスラム教徒と同じスカーフ(ヘジャブ)を頭に巻くなどしなければならない。
マスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)

今年、ユネスコの世界遺産に認定された。4つのエイヴァーン(入口)を備えている。

創建は8世紀だが焼失。12~14世紀に再建されたが、各時代に増築されているので、それぞれの時代の建築様式を一同に見ることが出来る。
セルジューク時代(1038~1258年)の柱は、その時代の特徴であるジグザグ模様になっている。傾いてしまっているので、足元や横が補強されている。
丸い柱とアーチが始まる間に四角い部分には木がはめこまれ、1000年前からの耐震建築が施されていた。

小さなドームが連続し、柱が林立している。57年前に13日間も雨が続いて洪水になり、多くの避難民がこのモスクで生活をした為、その煙の煤がついて黒くなってしまったのだそう。
また、これらのドームの奥は、イラン・イラク戦争で破壊されていたりもする。。。


ひとつとしてドームのデザインが同じではない。

これは、ガージャール時代
(1779~1925年)の蝋燭たて

金曜になると物凄い人数の人達がお祈りに来るが、その際に使うお祈り用の絨毯。1人が1マスを使うが、全て寄付による。

メッカの方向を示す壁のくぼみであるメフラーブだが
もともと造られた時には方向を誤っていたので
後世になってメフラーブの方向が正された。
しかし、床の石畳の一部は昔の方向をさしたまま。

イルハーン朝(1258~1370年)のスルタン・オルジャイトゥーの為に造られたメフラーブは、漆喰で装飾されたもので、本当に美しい。王と都市名などが書かれている。

階段状の説教壇であるメンバルも本当に綺麗。モロッコで見た素晴らしいメンバル(ミンバー)を思い出した。
モロッコのミンバーの様子などはこちら

冬用のお祈りの場所は、常時25度に保たれており、明かり取りの為に、天井には大理石がはめ込まれている。


セルジューク時代(1038~1258年)のこのドームの周り(小さな天窓の下の1列部分)には、クーフィーという文字が描かれ、当時図書館として使われていたと考えられている。
タイルのような煉瓦模様になっているが、文字は縦長に伸ばされたような文字。

広場の中央には、ガージャール時代に造られた四角い建物がある。これは、メッカにあるもののミニチュア版で、メッカ巡礼の際に、さまざまなお祈りの方法や儀式があるため、あらかじめ練習をここでしてから巡礼に行く為のもの。
他にも、スタジアムなどにも置かれて練習するのだとか。

ここにもお祈りの際、頭を下げる時に頭にあてるモフが置かれ、共にお祈り用の数珠のようなものがあった。これは、
101個の玉で出来ており、33回ずつ違うお祈りを3回行う為に、途中の切れ目の他に大きさの違う玉が2つ入っている。
仏教では数珠、キリスト教ではロザリオに似ているなぁと思ってみたり。

必ずモスクや街の何処にでもある
革命の祖であるホメイニ氏と、現在の
最高指導者であるハーメネイー氏の
似顔絵。

「ファーティマの手」と言われる手をかたどったものが、ミナレットの上に付いている。
ファーティマ(فاطمة الزهراء Fāṭima al-Zuhrā')は、イスラーム教の開祖ムハンマドとその最初の妻ハディージャの娘。メッカに西暦614年(シーア派伝)、または606年(スンナ派伝)に生まれ、ムハンマド死後まもなく632年メディナで没する。後世、彼女は女性が見習うべき理想の女性と称賛されている。(wikipediaより)

コーランがあったので見せてもらった。
イスラム教徒はコーランをアラビア語で読まなければならないので、発音記号、そして行の下には小さくイラン語の訳が書いてある。
イラン人にとって、アラビア語の発音は難しいのだそう。
このモスクの周りは古いバザールになっていて、鏡なども売っていた。


鏡は、女性の大切な嫁入り道具とのこと。イランでは、男性側が家を用意し(買うなり借りるなり)、女性側が冷蔵庫など家財道具一式、鏡、コーランなどを用意するのだそう。
この後は、40本の柱のある チェヘル・ソトゥーン宮殿 や世界遺産の イマーム広場 へ。
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