イスファハンの ヴァーンク教会マスジェデ・ジャーメ(金曜モスク) を見た後、チェヘル・ソトゥーン庭園博物館へ。
 
チェヘル・ソトゥーン庭園博物館
 
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サファヴィー朝時代の1647年にアッバース2世によって建てられた宮殿で、ペルシャ式庭園として世界遺産にもなっている。実際の柱は20本だが、手前の池に柱が映り込むことで40本に見えることから、四十の柱という意味である「チェヘル・ソトゥーン」と名付けられた。40という数字は縁起が良いのだそう。
建築当時、柱も全て鏡に覆われていたが、後のガージャール朝の時代に鏡も装飾された漆喰も外されてしまった。
 
 
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今は水が張られていないが、以前はここにも水があり、天井や柱がその水にも映り込むしくみとなっていた。柱の台座にはライオンが。
 
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入口部分は未だ鏡が残っていて、
それだけでも非常に美しい。
 
 
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宮殿内部に入ると、謁見の間は豪華絢爛な
金色をベースにした絵が何枚も描かれている。
 
 
サファヴィー朝時代は、お酒もOKだったので、
綺麗な女性達が踊る中、酒宴が開かれている
様子が描かれている。
 
 
 
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この絵は、後のガージャール朝時代のもので、戦いがテーマとなっており、サファヴィー時代がトルコに負けたということが描かれている。
 
 
 
 
 
 
 
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そして、自分達はインドに勝利した
とういうことを示している。
 
 
 
 
 
 
横の間は、謁見する前の客人達の待合の間。イメージ 4
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インドの火葬の様子なども描かれている。
 
驚いたのは、女性のヌードが描かれていること。
イスラム教でもスンニ派はそれを良しとしないが、シーア派はヌードも美術品と認めればOKなのだそう。
 
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涙壺
男性は戦争にあけくれていた時代、
女性は涙にくれながら帰りを待っていたので
その涙を集めたらこんなにいっぱいになった、
と帰って来た男性に見せたという。。。???
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
SHAHRZAD というレストランで昼食を。
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濃厚なトマトベースの麦の入ったスープ
 
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サラダにかけるドレッシングは出来合いのものが出て来るお店が
多い中、ここのマヨネーズ風にはミントなど香草が入っていて
美味しかった。
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キャバーベ・クービーデ
牛ひき肉のケバブ。
 
 
 
 
 
 
 
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タ・チーン(タハ・チーン)
鶏肉をごろんごろんとサフランライスや
白いご飯の中に入れて、卵をかけて
焼き上げたもの。
美味しい。
ケーキ型のようなものに入れて焼いてあるので、特に、おこげ部分が香ばしく、
すぐりの赤い実の酸味がさっぱりさせてくれる。
 
 
 
イランでは、朝食にはパン類、夜ご飯よりもお昼に一番重きを置いて、ガッツリとお米料理を食べるのだそう。
 
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また、イランではコーヒーはあってもネスカフェの粉末。紅茶文化で、カスピ海沿いではお茶も採れる。
デザート菓子などを食後に食べる習慣はあまりなく
白い角砂糖の他、右上はサフラン味の砂糖、左はべっこう飴で、これらと共に紅茶を飲むのが普通。
(近くに座っていたデザートを期待する日本人団体ツアー客用には、特別にアイスクリームが出ていたが。。。)
 
この白い角砂糖が凄い。日本の角砂糖は紅茶など液体がかかるとさっと溶けるが、この角砂糖は全く溶けない。
イラン人は、口に角砂糖を含んで紅茶を飲み、少しずつ口の中で角砂糖が溶けていくのを楽しむ為で、そうやって飲むのも面白かった。
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お店の人がサービスしてくれたピスタチオが
入ったヌガー。これも美味しかった。
 
いつも地元の人で大人気のお店だそうで、12時前に入ったので好きな席に座らせてもらえたが、帰る頃にはウエイティングの長い列が出来ていた。
また、近くには駐車スペースがあまりないが、この時はすぐに車も停められた為、ドライバーさんも5年ぶりでこのお店で食事が出来たと喜んでおられた。
 
 
そして偶然、イランではとても有名な俳優(悪役なども多いそうだが)で監督業をしている初老のアルジュマニーさんと言う方が、撮影クルーと思われる人達と食事に来られた。一斉に回りのイラン人達が、イラン式にとても丁寧な挨拶である右手を左胸あたりに当てて会釈して挨拶をしておられた。
 
食後は、世界遺産の イマーム広場 へ。
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「イスファハンは世界の半分」とまで言われたサファヴィー朝(1508~1722年)の繁栄がみられる広場には、マスジェデ・エマーム(画像右のモスク)、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー、アーリー・ガープー宮殿、バザールなどが配されている。
 
まずはアーリー・ガープー宮殿
 
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1・2階部分はアッバース1世の時代に、3~7階はアッバース2世の時代に建てられたイランで最初の高層建築。
広場ではポロなどが行われ、上から眺められた。
(上階からの眺めは上の広場の画像)
 
 
 
 
 
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入口の扉は、イラクの霊廟の扉に使われていた物で、
イラクからこれをもらった代わりに、124キロもの金を
使ったドアが、イランからイラクのシーア派に贈られた。
 
 
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入り口の四隅には
兵隊が立っていたのだそう。
天井がドームになっているのだが、隅の壁に向かって小声で話しても反対側の兵隊に聞こえるようになっている。
 
そういえば、このしくみは、NYのグランドセントラルステーションの
地下にも同様の構造の壁があり、反対側に声が聞こえるということで、観光客が良く壁に向かって呟いていたなァと。
 
 
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あいにく、上階は現在修復中で
足場が組まれていた。
 
 
 
 
 
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隣には、ガージャール時代には神学校として造られた建物がある。
その後、パーレビ国王時代には牢獄として使用され、現在は美術大学に。シーラーズにある美大の次に有名な美術大学なのだそう。
 
 
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宮殿内部は、ガージャール朝時代に、壁がはがされたので、天井や階段のタイル部分などに辛うじてその豪華な様子が見て取れるぐらい。
 
 
 
 
 
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最上階は音楽堂になっていてとても美しい。楽器をかたどった壁の装飾は立体的なすかしになっているが、漆喰で造られているのだそう。
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この奥で楽士が音楽を奏でたと言われる。
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門の上にあったのだが、イスラム風にしては、おてもやんのような可愛い顔が2つついていたので、思わず撮ってしまった。
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このアーリー・ガープー宮殿の真向かいは、広場をはさんでマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーのドームが見える。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この後は、マスジェデ・エマーム、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーに向かった。