イスファハンの世界遺産である イマーム広場 にある アーリー・ガープー宮殿 を観た後、同じく広場に面したマスジェデ・エマームとマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーの2つのモスクを見学した。
マスジェデ・エマーム


イマーム広場は1979年に世界遺産に登録されているが、このマスジェデ・エマームは、今年、世界遺産に認定されたモスクで、サファヴィー朝(1508~1722年)を代表する建築物。1612年に着工され1638年に完成。
広場に面した部分のエイヴァーン(2本の角のようなミナレットのある門のようなもの)と、その奥にさらに45度ずれた方向に向かってのエイヴァーンとドームがある。広場に併せた為に、エイヴァーンがメッカの方向を向いていないので、メッカの方向を向いたエイヴァーンをさらに造ったのだそう。
エイヴァーンに4本のミナレットがあるが、それぞれ52メートルと48メートルの高さを誇る。


個人のお金で建てられた為、26年もの歳月がかかったが、入口付近には、寄付をした近辺の人々の名前や職業が細かく彫りこまれ、建造者の名前と共に、最後には年号も入っている。イスラム歴の1038年=西暦1629年
モカルナスといういギザギザの部分が非常に立派。

2つめのエイヴァーンに行く途中の回廊ですら、地面から2メートルまでは大理石で、そして美しいタイル張りとなっている。

7色のタイルで構成されているドームは、二重構造になっていて、内側のドームが33メートル、外側が52メートルとなっているとのこと。
(「歩き方」にはそれぞれ38メートル、54メートルとあるが・・・)
マイクなどのない時代に、非常に多くの参拝者に向かって声を響かせる為の工夫として造られたのだが、人間の耳には7回エコーがかかって聞こえるが、実際に測定すると14回エコーがかかっているのだそう。
ドームの下で拍手をしてみると、なるほど良く響きエコーが聞こえたが、中央部分の床を一回踏み鳴らすと、凄い反響音になったのには驚いた。

中央のメフラブ(メッカの方向をさす壁のくぼみ)の
足元には、穴が掘ってあり、偉い神学者の人が
あえて高見からではなく低い位置でお祈りを
するのだそう。

メフラブの横にあるメンバル(ミンバー)は、ひとつの大理石から彫り抜かれたもので、後ろにある2本の木のみで支えられていた。
シーア派の神学校は2つあり、画像左は夏用のものでオープンエア。画像右は冬用のもので部屋となっている。



広い中庭には、日差し除けの為のテントが張られ
その下にお祈り用の絨毯が敷かれていた。

イラン・イラク戦争でもドームにひびが入るなどし、半世紀ごとにタイルは張り替えられている。
半年前からドームを修復しており、現在はナノテクのタイルに変更しているのだそう。あらかじめ大きなドームのアーチの土台を作り
それに合うようにタイルを作っていくという手順。

エイヴァーンを裏からみると
裏側にはタイルがないので
ちょっとハリボテ風???

単なる幾何学模様かと思っていたのだが、ミナレットにも、ドームの下の部分にも、色々なタイルの装飾にも、ムハンマド(モハメッド)と、ムハンマドの従弟で娘婿のアリの名前がデザインされているのだそう。因みに、スンニ派は、アリの名前は書かない。


マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー

アッバース1世のレバノン人の義父であるシェイフ・ロトゥフォッラーは、シーア派の高僧で、その義父へのプレゼントとして造られたもの。
完成まで18年(「歩き方」には17年)かかった。
王族が個人的に使用していた為、ミナレットや中庭はなく、地下道や地下室もある。

まず、全てが綺麗なタイルで覆われた回廊を行く。
歩くとこんな感じで青い色に包まれる。
↓

ここの凄いところは、タイルの上に絵付けをされたものではなく、それぞれの色のタイルを、ひとつひとつ文字や文様ごとにカットしては、モザイクのように、はめ込んでいるという手間暇をかけたものだということ。



天井には、光線の具合で、クジャクの尻尾のように明るくなる。
これはイスファハンのデザインで唯一。


メフラブの所には、建築家の名前などと共に、
1028年と書かれている。
(イスラム歴の1028年は西暦では1619年。)
ラッキーなことに、観光客は我々だけだったので、静寂の中でしばしこの素晴らしい建物を独占し、堪能することが出来た。
イランじゅうを知っている通訳ガイドさんも、このモスクがイランのモスクの中では一番好きだと言っていたが、なるほど、本当に美しいものだった。
この後は、夕方になって噴水やライトアップが施されるイマーム広場を再度堪能し、バザールへと足を運んだ。
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