イスファハンを後にし、ヤズドに向かう。
 
ハージュー橋
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前日に見ていなかったので立ち寄った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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1666年に完成。
長さ133メートル、幅12メートルは、前夜訪れたスィー・オ・セ橋の半分程度の長さ。
 
 
 
 
 
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3年前から上流のダムが工業用水用などに使用する為
現在川には水がないが、昔は下の板の部分を下げることで
ダムのように水を堰き止めて水量を調節していた。
アルメニア人の洗礼もここの水が使われていた。
 
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王の席が2階に作られ、宴を楽しんだのだそう。
 
 
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橋の両端にライオンの像がある。
セルジューク時代(1038~1258年)のもの。
口の中には人の顔が入っている。
 
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イランのカラスはツートンカラー
 
 
 
 
 
 
イスファハンからナーイーン Nain に向かう途中、水を買いにドライブイン?に立ち寄った。
 
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銀色のポットのような容器には紅茶が入っている。
 
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車の部品を修理していた。
 
 
 
皆、とてもフレンドリーで、さらのお菓子箱をわざわざ開けてくれてヌガーを勧めてくれた。
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ヌガーには柔らかいものと硬いものとの2種類があり、ここで食べさせてもらったのは硬い方だった。
このヌガーは丸くて大きい。
もっと食べろとどんどん勧めてくださった。
 
 
 
 
 
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窓がほとんどない伝統的な家屋が
荒涼とした土地にあるが、屋根が銀色に
なったものも。
最近、この銀色の屋根にする人が多い
そうだが、光を跳ね返してしまうので
都市部ではより暑さを助長してしまう
とのこと。
 
 
 
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イスファハンから東のヤズドに向かうエリアは養鶏業が盛んで、鶏を飼っている建物が点在していた。
 
 
 
 
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徐々にタイル工場も
増えていく。
 
 
 
 
キャラバンサライ
 
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キャラバン=隊商
サライ=泊まる
 
キャラバンは2000年前のアケメネス朝時代から行われ、サファヴィー朝(1501~1722年)時代が最も盛んだった。
1日に30キロ進むキャラバン隊が泊まる為に、30キロごとにキャラバンサライが造られた。
 
 
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入り口付近には馬などがつながれ、
奥の建物の正面に台所があった。
 
 
 
 
 
 
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カナートがひかれている。
 
 
 
 
 
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現在でも、このカナートは利用され、農業用水として池に水が貯められていた。
奥の建物はかつての住居で、今は廃屋になっていたが、ハマム(お風呂)↓は現在も使われている。
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イランは現在、どこでも土葬。
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我々が観光している間に、ドライバーさんが紅茶やクッキーの用意をしてくれていた。
 
 
 
 
 
 
我々がお世話になった車のナンバープレート
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イラン語(ペルシャ語)もアラビア語と同様、右から書くが、数字は左から書く。
因みにイラン語もアラビア語も数字の表記は一緒。
このナンバーは左から「46M824」、右の2ケタの数字は地域を表し、「63」はシーラーズの車と言う意味。
テヘランの車はその地域番号がゾロメとなる。
 
 
この後、ナーイーン Nain の街で昼食、そして観光を。その様子は追って。