イスファハンを出て、ナーイーンを経由し、ヤズド Yazd に到着。
ヤズドの人口は約50万人で、タイル産業、絨毯、シルク、布などを生産している街。
アーテシュキャデ(ゾロアスター教寺院)

アーテシュキャデとは「火の館」という意味で、1500年以上燃え続けている聖火がある。

紀元前7世紀頃に出来上がった宗教で、もともとは、水・風・土・太陽(=火)の4つを重んじていたが、徐々に4つのエレメンツのうちの火だけに変わっていく。
アケメネス朝時代(紀元前550~333年)までは、この炎は青空状態で祀られていたが、ササン朝時代(紀元226~661年)からは火と太陽が一緒にあってはいけないという考えになり、建物の中に火が納められるようになった。

ゾロアスター教の善の神であるアフラマズダの像。イラン語では、ファルバヘルと言い、本名はアーシューザルトシュトゥと言うのだそう。
3段の羽を持つ。青い楕円の中には文字が書いてあり、良い考え、良い行動、良い言葉と書かれている。
黄色の輪は地球を表し、右手は手のひらを天に向けて神からの力を
受け、左手は平和の黄色い輪を持っている。黄色の2本の線は足で、前へ進むことを意味し、尻尾は悪い考え、悪い行い、悪い言葉を意味している。

ヤズドの郊外にチャクチャクという場所があり、そこは山にある洞窟がゾロアスター教の聖地となっていて、世界中のゾロアスター教徒が6月の特定の日に集まる。
現在のイランはシーア派だが、シーア派はこのゾロアスター教の影響を受けたイスラム教となっている。
イランのお正月であるノールドでは火の上を跳んだりする行事があったり、イスラム教の月の名称はイラン語でゾロアスター教の名称を言うなど、ゾロアスター教の影響を多く受けている。
1日5回のお祈りを行うがイスラム教のようなアザーンはない。15歳で成人式をする。
ゾロアスター教の経典であるアベスタは、
古代ペルシャ語で書かれている。
沈黙の塔(ダフメイェ・ザルトシュティヤーン)

ゾロアスター教徒の遺体を葬る鳥葬(風葬)として造られたもので、右側の丘が女性用、左側のより高い方が男性用。

男性用の丘の手前にある
アーブ・アンバールというものは、両側に風取りのバードギールを備えた貯水池。

女性用の丘に登り、男性用を眺める。
ゾロアスター教では、火・水・風・土を神聖なものとしていたので、火葬や土葬を嫌い、鳥葬としたのだそう。(風葬は問題ないのか素朴な疑問が残るが・・・) 丘の上に建てられた塔は周囲の壁だけで天井はない。

女性用の塔の内部。
ぐるりに遺体を置いておき、残った部分を穴の中に入れた。

このエリアは町から離れて造られたが、人口が増加し町が大きくなることで、異臭が気になることもあり、57年前に鳥葬は禁止され、ゾロアスター教徒であってもイスラム教徒と同様に土葬されることになった。(インドのゾロアスター教徒は今現在も鳥葬) そう言えば、宗教は異なるが輪廻という観点からチベットでも鳥葬をしていた。

女性用の塔からの眺め。麓にもお葬式の場所がある。
現在、イラン全土で土葬と決まっているが、テヘランなど都市部では土地不足が問題となっている。
テヘランでは1人分のお墓の土地代が300万円相当もするなど、高騰。夫婦や親せきなどの埋葬場所を近くにしたい為には、あらかじめ人数分の場所を一度に買わなければならない。
土地不足から、最近になって、子供や親戚の同意を得れば、いったん埋葬した遺体を掘り出して別の遺体を入れても良いようになったのだそう。


上空を鳥が・・・
ゾロアスター教徒のおじいさん
この辺りでは観光客にポーズをする名物なおじいさんなのだそう。
ズール・ハネ

イランの古式体操を行うクラブであるズール・ハネを観に行った。
4本のバードギルの中央にあるドームの所で行われている。

若い人のみならず、おじさんまでもが
それぞれに見合った重さの棍棒を持ってのトレーニング。
観光客に開放しているが、実際に彼らはプロではない。

棍棒のみならず金属の物を持ったり、くるくる旋回したりのトレーニング

この建物はもともとは貯水の場所だったので、
フロアの下は物凄く大きな空洞があいていた。

アミール・チャグマーグ広場

広場近くにある刺繍専門店。ガイドさんが家のテーブルマットに欲しいと、ああでもないこうでもないと、考えながらショッピング。写メをして奥さんに確認を取ってから買うべきか、サプライズで買って帰った方が奥さんが喜ぶだろうか、、、と(笑)
下の女性2人は、自分達で縫うので刺繍の布地を買いに来ていて、こちらも熱心に吟味中。


刺繍は、額に入れて壁に飾る場合は裏はそのまま、テーブルクロスなどにする場合は裏地をつけてくれる。

ホテルに向かう途中、
綺麗にライトアップされた
風取り塔のバードギールと
貯水池のアーブ・アンバール
ホテルで夕食を。
チキンのケバブをノンアルコールビールと共に。





スープ、サラダとパンはビュッフェスタイルになっていた。
パンの種類が多いのにはビックリ。
ただし中にはとても硬くて繊維がいっぱい入ったものもあり、ガイドさんもドライバーさんも
土壁みたいと言っていたぐらい。







部屋に帰ってテレビをつけてみると、BBCを見ることが出来たのだが、この日は驚きのニュースが色々。

この日のお昼にナーイーン Nain という町で Youtube にアップされた 「Innocence of Muslims」 に対する抗議デモに遭遇したが(その様子は イラン旅行<12> で)、デモは全国各地で行われていたようで、その様子がローカルテレビで放映されていた。

しかし、この日のトップニュースはとにかく通貨暴落。
イラン通過のリアルが、この日(10月3日)に約3分の1にまで下がったことで、テヘランではデモ隊と警官隊が衝突。夕方、アフマディネジャド大統領が記者会見し、その様子はホテルのロビーでも皆が食い入るように見ていた。

夜には大統領演説の様子のみならず、(イラン語なので内容まではわからないが)色々な人達が討論・検証をしていた。
イラン語のローカル局だが、下には英語でのテロップで
Ahmadinejad:
Iran's economy being targeted by psycological war. と。
9月30日にイランに入った我々の両替率は1USドル=12250リアルだったのだが、それが3分の1に?!と驚いてしまった。だが、翌日からも実際にはイラン国内では何ら変わらず平常通りで、政府が国内の物価は安定させているとのこと。
帰国時にわかったのだが、出国手続きをした国際線ターミナル内での銀行の両替率は1USドル=28000リアルとなっていて、そこまでは政府の手が及んでいなかったのかも。。。???
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