シーラーズ Shiraz 郊外にある世界遺産のペルセポリスを観光。

ペルセポリスは、イラン語ではタフテジャムシ(タフテ=玉座、ジャムシ=詩に歌われた伝説の王の名前)で、紀元前520年に、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世が着手し、子供のクセルクセス1世が完成した総面積が約125000平米の都。
行政の都はシューシュという所とし、このペルセポリスは、冬から春に変わる新年を祝うノールーズ(3月20日)という行事の為だけの都だった。28の代表者達が新年の挨拶に来るので、国力をアピールする為のものともいえる。
エラム王国(紀元前3200年~紀元前539年)、バビロニア、古代ペルシャの3か国が融合されている。
最後の王であるノルタクセレクス3世が門を増築中に、アレクサンダー大王がやってきて、アクロポリスに火を放ったペルシャへの復讐として、このペルセポリスの全てを焼き払った。
入口を入ると大階段が待っている。
階段の横には、エラム王国のピラミッドを模した
山がいくつもデザインされている。
階段の段差は低く、各国の代表者(老人)にも
きつくなく、また馬でも上がれるようにとの配慮から。

クセルクセス門
正門に当たり、控えの間ともなった。
高い柱は、ギリシャ風となっている。
顔は人間、羽を持った人面有翼獣神像が。
髭の長いのは王を表し、蓮の葉をモチーフと
した冠を被っており、ギリシャの影響が
みてとれる。

側面には、楔形文字で、パサルガダエの遺跡と同様、バベリア語、エラム語、古代ペルシャ語がそれぞれ刻まれている。

儀杖兵の通路
ジャービーダンと呼ばれる1万人の軍が王と共に、各地の都(ここの他に4つあった)を行き来していた。
兵隊は、同じ背丈や顔形の人が揃えられ、この壁のへこんだ部分に一人ずつ立っていた。
屋根にはレバノン杉が使われ、赤地に金色のカーテン、そして黒い壁だったのだそう。

グリフィン(双頭鷲像)
イラン航空のシンボルマークになっている。
この2匹の間の平らな部分に、梁を乗せて屋根を
支えていたもので、台座はエラム王国風、
柱はギリシャ風、そしてその上に乗るという
意味もこめられている。

馬の顔のものもある。
馬のたてがみが蓮の模様をしていて
王様の馬であることを示している。

この柱の台座にしても、非常に細かい模様があり
磨くことで黒光りする。

上下の遠近法を使い、より近寄りがたい
王様を上に配置している。

一番上の段:王様が右を向いて座り、王様の左手には蓮を持ち、右手には地面につけた杖を持つ。右側には謁見の人が、顔の前に手のひらをつける当時の挨拶をしている。
王様の後ろには、王様のハンコを持つ人、そしてハエ避け担当の人、一番後ろには槍を持った警護の軍人
2番目の段:王様直属の1万人の兵隊

一番下の段:帽子が丸い形のメディア人と角ばった帽子のパールス人とが交互におり、差別がないことを示している。
また、槍で土を汚さないように足の上に置いており、土につけることが出来るのは王様だけ。

百本の柱の間(玉座の間)

中央宮殿
この場面は、冬を象徴する牛を春を象徴するライオンが食べるのではなく、追い出しているとう意味で、新年を祝うノールーズの為の彫刻。

アパダーナ 東階段のレリーフ
クセレオス王が後に追加した彫刻をほどこされた壁には、古代ペルシャ語の碑文が左端に刻まれ、杉と杉の間にひとつのグループが描かれている。耳にピアスをしている人は偉い人なのだそう。

パールスとメディアが交互に先頭に立ち、その後ろに21ヶ国(キュロスを追加して28ヶ国、後に32ヶ国に増えているが)が続く。(「歩き方」には23か国と)
最後の21番目は、アフリカ系の人達で、頭髪がくるくると短いのがわかる。

ギリシャからはライオンが(これは画像にない)、
エジプトからはラクダが貢物として運ばれている。

謁見の間(アパダーナ)
19メートルの柱が36本あり、レバノン杉の屋根がふかれていたが、現在はそのうちの12本が立っている。

パールス人とメディア人が交互に
立っているうえには、ゾロアスター教の
アフラマズダが彫られている。

彫っていて失敗したらしく
後からはめ込まれていたりも。

右隅に管理者のサインが彫り込まれている。
作業が終わるとサインをつけ、給与をもらっていた。

アーリマン(悪役)としてライオンが描かれ、王様がライオンと戦っていて、善である王様を示している。(ライオンは春の象徴として善になったり悪になったり???)


タチャル宮殿(冬の宮殿)
プライベートな宮殿で、ここにも、王様と後ろから傘をさしかける侍従の姿がある。
黒く磨かれて、鏡の宮殿とも言われていたのだそう。

博物館はあいにくこの時は開いていなかったが、
石の赤と黒を組み合わせられていた。

ラフマト山のふともに、アルタクセルクセス2世王墓(在位404BC~358BC)があり、その右にはアルタクセルクセス3世、ダリウス3世の王墓もある。


アルタクセルクセス2世の王墓は、高さ12メートル、横6メートル。
王様の像が彫られ、その上にはゾロアスター教のアフラマズダの像がある。
この時ばかりは王様も、弓を地面にはつけずに足の上に置き、右手は天の方に向けている。王様の下には2列14人、つまり28か国の代表が王様を支え、王様はアフラマズダからパワーをもらっているということを表している。
王妃エステルはユダヤ系の人で、ユダヤ系ということを隠して結婚した。アケメネス朝以降、ユダヤ系がイランに入りやすくなった要因となる。

ここからはペルセポリスが一望できる。

イラン人観光客も写真を撮っていたが、彼女達の派手な格好にビックリ!
旅行会社やガイドブックから指示を受けた外国人旅行者の女性の恰好としては、スカーフは必須で、なるべく派手な色は使わず、身体の線を隠す為に膝丈ぐらいのコートか上着、またウエストを強調するようなデザインは不可、スカートの場合はロングスカートに黒いストッキングで生足不可と聞いていたはずが・・・
何でも、イランの中でもシーラーズの女性が一番開放的な服装をし、続いて都市部のテヘランの女性などになるのだそう。
この時から、シーラーズでは、女性ウオッチングをすることにした。女性の服装については追って。
また、ここでは、一緒に写真を撮ってくれと若いイラン人の青年2人に頼まれた。初めて外国人を見たのか、初めて 「平たい顔族(映画のテルマエロマエ風に言えば・・・)」 を見たのか。その青年達はアフワーズから来たとのこと。今後、ガイドさんとは 「平たい顔族」 をキーワードにやたらと話が盛り上がることとなった・・・

ここペルセポリス前の広場で、最後の国王であるパーレビ国王が演説をし、各地から来賓を莫大なお金を投じて招いた。しかし、その浪費が民衆の反感を買うこととなり、シーラーズから1979年に革命が起こることとなった。
未だ、その時の建物の名残が残っていた。
この後、ナグシェ・ロスタム、ナグシェ・ラジャブなどを見学しに。その様子は追って。
コメント