ナグシェ・ラジャブ
ササン朝初期のレリーフがある。ササン朝はAD226~556年であるのに対し、アケメネス朝はBC550~BC333年と古いにもかかわらず、これらのレリーフにはアケメネス朝を意識しているところがうかがえるとのこと。

バッハラーム1世が馬に乗っているレリーフ。
(「歩き方」にはシャープール1世と)
残念ながら、不届き者が2年前に馬の脚を削り取ってしまったのだそう。

アルデシール1世がゾロアスター教のアフラマズダから世界を意味する輪をもらっているところ。
右側には水の神々を崇めるミトライズムの女神であるアナヒタが描かれ、左側にはヘラクレスが指差していて、ギリシャも認めているということを表している。

馬に乗ったアルデシール1世が同じく馬に乗ったアフラマズダから輪をもらっているところ。(「歩き方」にはシャープール1世とのこと)
ナグシェ・ロスタム
アケメネス朝の歴代の王墓がある。


左から、ダリウス2世、アルタクセルクスセス1世、ダリウス1世の王墓
楔形文字が表面に刻まれている王墓もある。
クセルクセス1世の王墓
その左側(人が居る所)はササン朝の
未完成のレリーフと考えられている。
王墓の入り口の形が十字架のように見えるが、キリスト教の影響を受けているものではなく、入口の下の部分は足場を作る為で、もしかしたらギリシャの影響があるとも考えられている。
レリーフがこれらの王墓の左にいくつかある。


左側の馬に乗った王様はアルデシール1世で、
右側のアフラマズダから輪をもらっているところ。
アルデシール1世の足元では、その前の王であったアルダワン5世を
アフラマズダの足元では悪人を踏みつけている。
トカゲ君もレリーフ鑑賞中?

ヴァーラム2世を中心として
右側が彼のアドバイザー、
左側が親戚の人達とのこと。
3つ並んだ王墓の画像の下にもレリーフがあるが、いずれもササン朝時代のもの。

ローマ皇帝のワレリア王を
やっつけている様子が描かれている。服のひだが綺麗に彫り込まれている。

ゾロアスター教の神殿と考えられている建物。
形は似ているが、メッカにあるキューベのような
イスラム教の建物ではない。
アケメネス朝では、太陽のもと火を燃やすことは
問題なかったが、ササン朝になって火と太陽は
別々に扱うようになり、建物の中で火を燃やした。
パサルガダエ にあるキュロス2世の2番目の息子の
カンビセス2世のお墓(その様子はこちら)に
非常に似ている。
4人分の王墓でここが満杯になったので、それ以降、ペルセポリスのそばにあるラフマト山のふともに、アルタクセルクセス2世王墓など(その様子は こちら)が造られた。
近くでお昼ご飯を。

恒例の飲むヨーグルトのドゥーグ


薄く柔らかいパンにチーズと
ミントなどの香草を巻いて食べる。

この日のメインは、バデムジャンホレスト。
茄子のシチュー。



一路、シーラーズに戻る。


ザクロの時期なので、道沿いで数多く売っていた。

石油を精製する会社がこの近くに2つあり、そのための貨物用のトンネルもある。


トラックやバスなどのチェックポイントが所々にある。GPSを搭載した車両やタコメーターにより、検問所の通過記録をチェックすることで、スピードの出し過ぎや1日8時間以上の労働を防止しており、そのお蔭で10%事故が減ったのだそう。


それにしても竜巻が多い。
特に危険になるような大きなものは
発生しないようだが。

シーラーズの町の入り口近くにあるコーラン門。
文字通り、コーランが置かれている。

シーラーズの町に限ったことではないのだが、どの町にもホメイニ氏や現在の最高指導者であるハメネイ氏の写真と共にその町出身でイラン・イラク戦争で亡くなった人達の写真が掲げてあり、シーラーズでも多く目にすることになった。
この後は、シーラーズの市内観光を。その様子は追って。
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