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シーラーズのホテルからの眺め。
隣にモスクがあり、丁度ミナレットを真横に観ることが出来る。
 
 
 
 
 
 
 
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ホテルのアーケード
高級な絨毯屋さんなどがあるが、その
中央にはキティグッズが!!
 
 
 
 
 
 
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隣のモスクには、花輪が届けられていた。
右は、お葬式の時のみこし風のもの(イスファハンで撮影)。
この日は金曜だったのだが、お葬式が行われる準備をしていた。
金曜の集団礼拝は、金曜モスク(マスジェデ・ジャーメ)に行くので、他のモスクには参拝者が来ない為、お葬式などが行われるのだそう。
イランの暦には、大安や仏滅などはなく、お葬式は亡くなって1日目、3日目、7日目、40日目、1年、、、と儀式を行うが、最近は7日目をする人が少なくなったのだそう。
 
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朝の街の一角には若者達がたむろっていた。
日雇いなどの職を求める若者で、業者を通さずにペンキ塗りや引っ越しの手伝いなどをお願いしたい時には、この場所に来て直接交渉をしたりするのだそう。
 
 
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道端には大きな冷蔵庫のような物があり、氷屋さんだった。
ドライバーさんが氷を一本購入。
それを砕いてクーラーボックスに入れて我々の水などを冷やしてくれた。
 
 
 
 
 
 
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この日は車の移動が長いからと、シーラーズ出身のドライバーさんが買って来てくれたこの時期だけ食べられる生のピスタチオ。
 
 
 
塩味はつけられていないが、車の中で良いおやつとなった。
 
 
 
シーラーズからビシャプールに向かう途中に、大きな割れ目のような場所がある。
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アボール(道)・ハイヤート(命)という場所で、川による浸食で深い切れ間が出来た。
この周囲の高い岩山が自然の壁となって、アレキサンダー大王がイランに攻め入ろうとして3度失敗、最後にここを通って侵入してきた場所でもある。
もし、この切れ間がなければ、世界の歴史が変わっていたかも???
 
 
 
 
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現在も、この道を使って遊牧民達が移動をするので、遊牧民に気を付けるようにと道路標識があった。
 
 
 
 
 
 
 
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ザクロが最盛期の頃なので
道のあちこちにザクロが
売っていた。
 
 
 
 
 
 
 
ビシャプール遺跡
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紀元224年~ササン朝が造った。
「王の道」と言われる道の途中に位置する。
今は荒涼としているが、当時は川もあった。
アラブに破壊され、ゾロアスター教の火を置く場所であるアタシュキャデの上にモスクが建てられた。
ハマムもいくつかあったのだそう。
 
 
セレモニーを行う宮殿
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何よりも大切なものは水であり、水の女神であるアナヒタのことを牛の姿で現していた。
モザイクタイルなどがあったのだが、アラブに破壊されている。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11アナヒタの神殿
地下に降りて行く階段があるので降りていくと、
そこはまるで広場のようなかつての貯水槽。
 
 
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水を貯める場所として、壁の上にはアナヒタの牛の像があり、アナヒタの顔が貯められた水に映り込むようになっていた。
 
 
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水は動かさないと腐ってしまうので、絶えず循環させる必要があり、この暗い通路を行くと、この貯水槽のぐるりを張り巡らす通路となっている。
通路の両側には溝が掘られているのだが、それぞれの傾斜が異なるので、片方の溝は高い奥から低い手前へ、もう片方は高い手前から低い奥へと水が回遊するようなしくみとなっていた。
 
 
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王の宮殿
 
ササン朝時代は、しっくりで綺麗な彫刻が施されていた。
壁のくぼみは64か所あり、それぞれのくぼみ部分に、しっくいで造られた像が置かれていた。
ササン朝時代から、アーチ建築が見られるようになる。
 
 
 
 
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ワレリアン宮殿跡
ナグジェ・ロスタムの壁画では(その様子はこちら)、ローマ皇帝のワレリア王をやっつけている様子が描かれていたが、その戦いで敗れたワレリア王がここに幽閉されていた。
ギリシャの王であることから、ギリシャ風の大きな石による建物が造られ、その柱などが少し残っていた。
奥の小高い場所は見張り台。
 
 
 
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見張り台からの眺め
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荒涼とした場所だったが、可愛い花が
楚々と咲いていた。
 
 
 
 
タンゲ・チョーガン タンゲ=谷
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ギリシャ王に勝ったシャープール1世について描かれている。
左はペルシャ軍、右はギリシャの人質達。
 
 
 
 
 
 
 
 
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バーラム2世(左)
アラブが攻め込んで来た時に勝ったことを示しており、右側はアラブ、左の王の馬から下がっている輪のようなものは、王の印を表す。
 
 
 
 
 
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バーラム1世(左)が、右側のゾロアスター教のアフラマズダから世界を意味する輪を授かっているところ。
アフラマズダの乗った馬の足元には、バーラム1世の前の王であるネルシー5世が彫られている。
 
 
 
 
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中央には正面を向いた王様、左側は軍、右側は人質が描かれている。
 
 
 
 
 
 
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王様の横の軍人達は、顔の前に手をグーのこぶしにして王様に挨拶をしている。これはササン朝の特徴で、それ以前のアケメネス朝では、ペルセポリスなどの彫刻で見たが、顔の前で手のひらをパーの状態にして挨拶をしている。
 
 
 
 
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このタンゲ・チョーガンは地元の人達にとっては、ピクニックのメッカと言った所のようで、次々と敷物やお弁当や飲み物などを皆が運んでいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
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暑かったこともあり、川沿いで脚を川に入れながらお昼をしている家族連れや、川で泳ぐ若者たちなど。
 
 
 
 
 
 
 
 
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女性が海などに入る際は、ヘジャブなどスカーフも被り服もそのままで水着姿になることはないと聞いて驚いたが、実際にここで見ることに!
因みにビーチは、カスピ海はあまり綺麗ではないので、ペルシャ湾の方が良いそうだが、ビーチはプライベートビーチ以外は、男女がそれぞれ区切られており、男女は別々のエリアで泳ぐことになる。家族連れの場合は、父・子が海に入って、母親は服のまま見ていることが多い。男性は他の女性の前でも水着のみでOKだが、街中は短パンはダメというのもいささか不思議かも。。。
 
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そして我々もお昼を食べに町の食堂へ。
 
 
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羊と牛肉のミンチの上に鶏肉がのったシシカバブ。その上には唐辛子の輪切りが乗っていて、これが美味しい。
サラダのドレッシングも見た目はいつもと変わりがなかったのだが、結構ピリ辛でいける。
今まで、全くと言って良いほど辛い食べ物には出会っておらず、辛い物好きのシーラーズ出身のドライバーさんはいつもスープにも何でも胡椒などを多く振っていたのだが、今回はご満悦の様子。
一方、テヘラン出身のガイドさんは辛いものが得意ではないようで、シシカバブの唐辛子を全部はずして食べており、それをドライバーさんに分けてあげていたのがおかしかった。
 
 
この後、一路アフワーズに向かう。アフワーズはイランの中でも旅行していた時には10日連続イラン国内で最高気温を記録するほどの所で、10月に入っても最高気温は41度。。。 その様子は追って。