シェンクワーン県の県庁所在地は、現在ポーンサワンという町だが、もともとはムアンクーンという町にあった。
1968年のアメリカ軍の爆撃でムアンクーンの町は壊滅してしまった為で、そのムアンクーンに行くことにした。
 
ムアンクーン
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ワット・ピアワット
 
 
 
 
 
 
 
 
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1576年建立。ムアンクーン最大のお寺。
周りには30ものお寺があったが、
激しい爆撃の為に
全てが焼け落ち、辛うじてこの仏像だけは残った。
一度爆弾を投下したが、このお寺に当たらなかったので、
わざわざ戻って来て再度爆弾を落としたのだそう。
 
 
まるで原爆ドームのような印象を受けた。
 
 
 
 
 
 
 
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タート・フーン
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1566年に、ラオス王がインドより持ち帰ったブッダの骨を納めたとされる仏塔。
1884年に、中国人が内部に宝があるだろうと、盗掘した為に破壊された。
 
 
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その盗掘の穴から、通り抜けられる
ようになっている。
 
中から上を見上げると、この仏塔は昔、もっと小さい
サイズで、それを覆うようにひとまわり大きく
造り直されたことがわかる。
 
 
 
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プアン族のナ・ウ村 へ。
 
この村の麺造りは有名とのことで、見学させてもらった。
ここの麺は、他で作られた麺よりもクオリティが良いので値段も高いのだそう。
 
巨大なライスペーパーが干してあったのだが、この後これを切って麺にするのだそう。
 
 
 
 
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まずお母さんがクレープを作るようにお米の粉を溶いたものを焼く。
この日はこの冬二度目のとても寒い日だったので、火の回りはとても暖かかったが、夏はさぞや暑いだろうなと。
しかし、夏は暑くて大変であっても、強い太陽光で干すことで、より美味しいものが出来上がるのだそう。
 
 
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数十秒で固まったものを
お父さんが竹の干し網に
広げていく。
 
 
 
 
 
 
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2時間~2時間半程度干すのだそう。
 
 
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大きな米蔵があり、糠も。
糠は豚や鶏の餌になる。
 
 
 
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道端や家の隣などあちこちで見かける
この容器はゴミ箱。
使い古したタイヤを再利用している。
 
 
 
 
 
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あまり見かけなかったが馬も草を食んでいた。
 
 
ラオス人は本当に色々な生き物を食べるのだが(それは市場で実感 追って記事にします)、馬は食べないのだそう。
これらの馬は食用としてベトナムに輸出するもの。
 
 
 
 
 
 
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再びポーンサワンの町に戻る。
あちこちでポインセチアが生垣にされていて、とても綺麗だった。
 
 
 
 
 
 
 
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ポインセチアを愛でていたが、
と、同時に不思議な柵も。
 
 
 
 
 
 
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1964年~1973年のアメリカ軍によるクラスター爆弾の投下は、8分ごとで、ラオス全土、と言ってもこのエリアが非常に激しく、約200万トンもの量だったのだとか。
クラスター爆弾は、一旦上空でこの大きなカバーが半分に割れ、中から約650もの子爆弾が飛散するしくみとなっていて、そのカバー部分を家の柵などに使っていた。
 
 
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クラスター爆弾のみならず、
信管などを取り除いた250キロ爆弾等
さまざまな爆弾を店頭に置いている
レストランまで。
あまりこの趣味は好きではなかったが。
 
 
 
 
 
 
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ポーンサワンは、ムアンクーンよりも活気がある。
市場のそばでは、荷物を積んだトラックや、3輪バイクのトゥクトゥクや、バイクなどが行き交っていた。
 
 
 
 
この後、ポーンサワンの市場を探索。その様子は追って。