早春の徳川園に行ってみた。三月三日とあって、徳川園の有名な雛人形飾りを観ようと、大勢の人達が徳川美術館を訪れていたが、雛人形飾りは以前に2度観に来ているので(その様子は こちら や こちら)、今回は割愛し、庭だけを楽しむことに。

この牡丹は島錦

シナマンサクが満開。


アセビ


スイセンも丁度見頃で、とても良い香りを放っていた。

ツバキ 淡侘助(うすわびすけ)






ボケ


この日は、流し雛が行われ、お子さん達などがそれぞれ園内で作ったものを日本庭園の池に浮かべて楽しんでいた。

流し雛の由来
もともと物忌みの行事で、紙などで人形(ひとがた)を作り、これで体をなで、災いをその人形(ひとがた)にうつして川や海に流す行事から生まれた風習。この行事がいつの頃から始められたのか、文献等の記録が少なく定かでないが、「源氏物語」に源氏の君が祓いをして人形(ひとがた)を舟に乗せ、須磨の海へ流すという著述があり、雛流しそのものの原型は、遠く平安時代にさかのぼると言われている。
メジロやシロハラも。以前に一度ここでカワセミに出会えたのだが、残念ながらこの日は来園者が多いためか姿を現さず。。。


徳川園 とは
徳川御三家筆頭である尾張藩第二代藩主の光友が、元禄8年(1695年)に自らの隠居所として大曽根屋敷を造営したことが起源。当時は約13万坪(約44ヘクタール)あったが、彼の没後、尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊家に譲られ、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となった。
昭和6年第十九代当主の義親から邸宅と庭園が名古屋市に寄付され一般公開したが、第二次世界大戦の大空襲によってほとんどの建物と樹林は焼失。
戦後、都市公園とされていたが、平成13年に再整備を行い、平成16年に日本庭園として開園した。
(ガイドブック沿革より抜粋)
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