
左義長まつりは、全国的にはお正月や松飾やしめ縄を焼く火祭り行事だが、近江八幡では江戸時代では1月14・15日に行われていたが、明治に入ってから太陽暦採用に伴い、3月に変更。
近江八幡の左義長は安土城下で行われており、城主だった織田信長も自ら踊り出たとのこと。信長の没後、八幡山城下に移住して来た人々が、すでに4月に行われていた八幡まつりに参加したいと申し入れたが、たいまつの奉納場所がなく、新参者とのことで断られた為、安土で行われていた左義長まつりを始めたというのが起源。

日牟禮(ひむれ)八幡宮


左義長は、松明、だし、十二月(赤紙)の3つの部分を一本にして、前後に棒を通し、釣り縄で括り固め神輿のように担ぐもので、全体を左義長と呼ぶ。
町内の人達が、約2か月かけてその年の干支にちなんだものをテーマとして制作するが、素材は穀物や海産物などの食物を使ってその素材の色を生かして作るのだそう。
13基の左義長が一同に揃い、そこでコンクールが行われる。

今年優勝の 第十一区 「昇運白蛇の軌跡」


京都では玄関先で角が立たないようにと丸下駄を玄関先に置く風習がある。白蛇は古来神の化身として岩へ残す足跡は開運をもたらすということから、足のない蛇に下駄を履かせ「軌跡」が「奇跡」につながるとした。
材料 : 蛇は剣先するめ、黒い部分は黒豆、紫はブルーベリー粒ガム・・・桜海老、白豆、小豆、緑豆、かぼちゃの種、クコの実、とうもろこし、麦、糯米、パスタ、白板昆布、黒昆布、皮はぎ、マロニー、タラシート、ガム。
第十一区は、平成22年優勝、一昨年は準優勝(優勝は宮内町)、昨年も準優勝(優勝は宮内町)で、今年は3年ぶりに優勝で、今年の準優勝は宮内町と、しのぎを削っている。

準優勝の宮内町 「故郷ふるさと」
材料 : 道明寺、海苔、粉糖、らんぱく、紫いも、梅ミンツフカヒレもどき、寒天、鰹節、アラザン、青海苔など

他の町内の人達も観に来ていた。

第一区 「有為転変」
貝合わせをモチーフに。

織田信長の性質は斎藤道三の娘。斎藤道三の家紋は撫子だったことから。

参和会 「国盗物語」
斎藤道三をマムシに見立て、権威の象徴である傘を排して、下克上で戦国大名になった様子を表現。


仲屋(すわい)町 「来寿~伝説! ヤマタノオロチは実在した!! SP」

蛇のうろこは一枚一枚が小鯛の煮干し

為心町 「月下に舞う近江(扇巳)美人」
舞扇子、蒔絵かんざしを背景に月下美人が咲く様子。かんざしで景気低迷に歯止めをかけ、末広がりの扇子という意味なのだそう。


魚屋(うわい)町 「巳年の春」
弁財天の化身が蛇とも言われ、琵琶を持つことから。


新町通り 「祈り」
東北にある金蛇水神社では、穀物が豊かで民は神様に感謝して透かし彫りの器でお供えしたということから。


紫竹会 「豊穣神癸巳(ほうじょうのかみみずのとみ)」
五穀豊穣を願って、米・麦・粟・稗・豆を使っている。


寛永通宝をモチーフに。

歌舞伎の助六をテーマに。

お正月の羽子板をテーマに。


日牟禮八幡宮の境内で一同に会し、渡御に出るまでの1時間の間、氏子さん達は車座になるなどしてすでにアルコールがしっかり入っている。氏子の若衆は踊子と言い、老若男女を問わず、女装に近い変装をしたりもするとのことで、シニアの方達もお酒が入ってご機嫌。
ゴールデンボンバー風の若者なども大きな杯で一気飲みを次から次に。飲んでいる最中も横からビールや日本酒が杯に注がれていて、結局渡御に出る前につぶれている若者も。。。

左義長渡御出発の先頭は、日牟禮八幡宮の宮司さんと市長さん。
そして子供達が続く。


それにしても、とにかくお酒飲みな人達のお祭りにビックリ。左義長が神輿と違って軽いからだろうが、酔っ払いながら、日本酒をラッパのみしていたり。。。↓

織田信長と、近江八幡のゆるキャラであるらんまる君が見守る中、鳥居をくぐって渡御開始。

後で、織田信長などが高みの見物をしていた白雲館から眺めてみるとこんな感じだった。

この後、しばし近江八幡の町を散策。その様子は追って。
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