長野県の 高遠(たかとお)は、高遠藩の城下町だった所で、桜の名所としても非常に有名な為、一度行ってみたかった。
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行った方にあらかじめお聞きしたところ、とにかく混んで大渋滞になるとのこと。秋の香嵐渓の渋滞回避の為に早起きをして行ったが、今回はそれを上回る超早起き。お蔭で、太陽が昇り始めて木曽駒ヶ岳がピンク色に染まる様子を見ることが出来た。
 
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太陽の光が徐々に高遠城址の辺りをも照らし出して来た。この場所には、多くのカメラマンさん達が陣取っておられ、今までカメラマンのオジサマ達はちょっと怖いという印象があったのだが(勝手な思い込みでスミマセン)、皆さん色々と親切に他のお勧めスポットや、撮影場所などを教えて下さった。
桜の撮影を日本全国でなさっている方々ばかりで、その拘りぶりには脱帽。。。因みに、今年の高遠の桜の発色が例年よりも褪せていて良くないとのことだった。
 
高遠城址公園
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平城のように見えるが、川よりも80メートル高い段丘の上にある高遠城は実際は平山城。天文16年(1547年)に、竹田信玄が築城を開始。明治5年に城内の建物は民間に払い下げられ、桜が移植されて明治8年から公園となっており、「さくら名所百選」にも選ばれている。
桜雲橋の下の水には橋と桜が映ってとても綺麗だった。
  太鼓櫓
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タカトオコヒガンザクラは、樹齢130年を越える老木などもあり、現在は約1500本。ソメイヨシノよりもこぶりで、やや赤みが強い。
 
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城址からも冠雪した木曽駒ヶ岳の素晴らしい景色が望める。
 
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 メジロもお花見
 
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進徳館
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高遠藩主の内藤頼直が、万延元年(1860年)に内藤蔵人の屋敷を文武場として創設した藩の学校。 
 
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絵島囲み屋敷
七代将軍家継の生母、月光院に仕えて大奥に入り御年寄にまでなった絵島(江島)。正徳4年(1714年)に、江島生島事件が起こる。絵島が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者多数が処罰された綱紀粛正事件により、高遠に幽閉された。
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高遠湖
高遠城址公園から勝間薬師堂に行く途中にある湖。湖畔にも、多くのタカトオコヒガンザクラが植えられていて、とても綺麗だった。
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湖畔からは、兜山が望める。
 
この後、勝間薬師堂 のしだれ桜を。あまりに綺麗で、画像の枚数が多くなってしまったので、次の記事へ。